毎熊 晟矢(まいくま せいや、1997年10月16日 – )は、長崎県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。登録ポジションはディフェンダー(フォワード起用もされる)。
今回は、毎熊選手のプライベート面をメインにご紹介します!
毎熊晟矢の彼女や結婚について!
毎熊晟矢の彼女や結婚について、調べて見ましたが、公開されていませんでした・・・。
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インスタに手がかりがあるかなと見ましたが、サッカーに関する投稿のみでした。
毎熊選手を見ていると、チームメイトと仲が良かったり優しい人だろうなという印象持ちます。
結婚する際には、公開されるでしょうから、それまで待ちましょう!
年棒について
毎熊選手の年棒を見てみましょう!
西暦 | チーム名 | 名前 | 年齢 | 年俸 |
---|---|---|---|---|
2023年 | セレッソ大阪 | 毎熊 晟矢 | 25歳 | 2200万円 |
2022年 | セレッソ大阪 | 毎熊 晟矢 | 24歳 | 2000万円 |
桃山学院大学ではFWだった毎熊選手だが、J2の長崎からキャリアがスタートし、セレッソ大阪ではサイドバックを中心にプレーしています!
足元の高さ、器用さを買われたのでしょう。
年棒も上がり続けています!!
小学校について
経歴についてご紹介します!少し長文になりますが、毎熊選手がどんなキャリアを過ごしてきたのがご興味がある人はぜひ見てみてください!
黒髪フットボールクラブジュニア→JFCレインボー長崎→FOOTBALL CLUB BRISTOL U15→東福岡高校→桃山学院大学→V・ファーレン長崎→セレッソ大阪
毎熊選手が、今までのサッカー人生について語ってくれていますのでご紹介します!
-幼少期-
長崎県出身ですが、生まれは大分です。幼稚園まで大分で過ごし、小学校から長崎です。
両親が長崎生まれ、長崎育ちなので、長崎出身ですね。7つと4つ離れた姉がいます。
長男で末っ子です(笑)。サッカーを始めたきっかけは、親が何かスポーツをさせたいと思ったらしく、幼稚園の年中の頃、大分トリニータのスクールに入りました。
家族ぐるみで仲が良かった近所の子どもと一緒に入りました。トリニータの試合も見に行って、「カッコいいな。こういう人たちになりたいな」と思い、本格的にサッカーを始めました。
小学生で佐世保に引っ越して、小1は黒髪フットボールクラブジュニアというチームでプレーしました。
2年で長崎市内に引っ越して、JFCレインボー長崎に入りました。小6までここで楽しくやっていました。ポジションはFWやトップ下でした。
-中学~大学-
中学時代について
中学生になり、フットボールクラブBRISTOL(ブリストル)U-15に入りました。
このクラブに入ったきっかけは、大久保誠さんの存在です。
長崎出身の元プロサッカー選手の方で、引退されて、名古屋でアカデミーの指導をされていたのですが、僕が小6の時に長崎に帰ってきて、BRISTOLサッカースクールを立ち上げて。小6の時にそのスクールに行くと、凄く感じるモノがあったので、そのままここでやりたいなと。
プロになりたい思いは小学生の頃からありました。それまではただ楽しくサッカーをやっていたのですが、元プロサッカー選手の技術を間近で見て、サッカー観が変わりました。
ボールの置き所や見る所なども、この時期に考えるようになりましたね。
高校時代について
高校では、少しでもレベルの高いところでプレーしたくて、東福岡高校へ進学しました。
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長崎から東福岡高に進学した先輩の伝手もあり練習参加したら特待生をもらえたので、決めました。1年目は寮に入っていたのですが、2年目に親が福岡に転勤になり、実家から通うことになりました。
部員もめちゃくちゃ多かったですし、入った時の2つ上に松田天馬くんや木戸皓貴くんがいて、スーパー過ぎて(苦笑)。
こんなにも差があるんだと感じました。2年になってもAチームでは出られませんでした。
3年になって、レギュラーを掴めました。1、2年はBチームのFWでプレーしていました。
3年は、最初は右サイドハーフをやることになったのですが、途中からすぐFWに戻りました。
3年次はインターハイと選手権で優勝できたのですが、当時は「史上最弱」と言われていました(苦笑)。2つ上が強くて、1つ上も中島賢星くんや増山朝陽くんらタレント揃いで。
僕らの代はタレントがいなくて「弱い、弱い」と言われていたのですが、インターハイあたりから強くなりました。とは言っても、二冠はなかなか経験できないと思うので、ビックリでしたね(笑)。
でも、自分はインターハイには出たのですが、選手権では県大会でケガをしてしまいました。
全国大会は間に合ったのですが、全部ベンチでした。めちゃくちゃ悔しかったですね。
優勝したけど、心の底から喜べなかったです(苦笑)。
東福岡高での3年間は、めちゃくちゃ大きかったですね。練習はきつかったですが、求めていた環境でしたし、成長できたと思います。
大学時代ついて
プロは目指していたのですが、高卒後、プロからのオファーはなく、桃山学院大学に進学することになりました。
関西に行ってみたい気持ちもあったので、迷うことなく決めました。
1年目はあまり試合に出られませんでした。1年生は人数も少なかったので、先輩たちのビブスを洗ったり、試合ではビデオカメラを回したり、裏方の仕事もしていました(笑)。
2年目からは試合に出るようになりました。高校時代は、チームのために自己犠牲する気持ちが強かったのですが、大学では考え方を変えて、チームを勝たせるために自分が点を取る意識に変えました。
2年目から出られるようになり、そこで大きく成長したと感じます。3年目に関西選抜にも選んで頂いて、そのあたりからプロへの手応えを感じるようになりました。
3年のデンソーカップをV・ファーレン長崎の神崎(大輔)さんというスカウトの方に見てもらいました。
神崎さんは桃山学院大の島原遠征にも足を運んで下さり、その後は長崎の練習にも呼んでくださいました。
3年から4年になるくらいの時期ですね。実は大学時代、セレッソの紅白戦にも何度か呼んでいただいて、プレーしました。
ただ、大卒時はセレッソからのオファーはなく、長崎でプロをスタートしました。
親も喜んでくれましたね。2年間、たくさん試合を見に来てくれたので、地元でプロになれて良かったなと思います。
-プロ以降-
長崎での転機は、1年目に手倉森(誠)監督に右サイドバックにコンバートされたことです。
まさか1年目から36試合も出られるとは思っていなかったです。しかも右SBで(笑)。
右SBとしての手応えは、自分はあまりなかったのですが、周りから褒めてもらうことが多く、自信につながりました。
長崎では、玉さん(玉田圭司)や都倉(賢)選手とも一緒にプレーしました。玉さんは技術がズバ抜けていましたね。
2年間一緒にやって、細かいところも色々とアドバイスをもらいました。いい刺激を頂きました。
都倉選手は常に体のケアを怠らないし、J1の選手というか、迫力が凄かったです。
クロスを上げたら決めてくれました。2人とも、セレッソへの移籍を後押しして下さいました。
セレッソからのオファーをもらった時は凄く嬉しかったです。
評価して頂いていると感じたので、すぐに決めました。
初のJ1となった昨年を振り返ると、試合に出るまでの時間は長く感じたのですが、スタメンで出始めてからは、あっという間でした。
J2の長崎時代も、1年目はまず付いていく感じでしたが、2年目は数字にこだわろうと思ってプレーして、10アシストできました。
セレッソでも、昨年も最初は慣れるのに必死というか、キヨくん(清武弘嗣)とか中心選手に付いていくことに必死だったのですが、今季はもっと数字にもこだわりたいです。
内容ももっとやらないといけないですし、自分が中心になって、チームを勝たせられるような存在になりたいです。
プレースタイルについて
プレースタイルウヤ特徴についてご紹介します!
- 攻撃センス抜群
- スピードを活かした守備
まずは元フォワードということもあり、ドリブル・クロス・ボックス内の動きとディフェンダー離れした攻撃センスを兼ね備えており、チームにとって得点という目に見えた恩恵をもたらしてくれる点が大きな特徴です。
また、持ち前のスピードを活かし、対人守備も強度が上がってきており、J1の舞台でその守備もどこまで通用するのか期待してみたいところです。
こちらは大学時代のプレーです。3:24頃からご覧ください。
ペナルティエリア付近でボールを受け、ゴールから45度ほど角度がある位置からゴールっ右上隅に狙いすましたシュートを決めています。
シュートスキルの高さが分かるシーンですね。
#セレッソ大阪 への完全移籍が決まった毎熊晟矢。大学まではFWだったがプロ入り直後からSBに転向。スプリント力とサイドで競り勝つ空中戦、何より負けん気の強さが武器。毎熊がインナーラップしてポケットに侵入する事は得点が生まれる事と同義。大卒2年で74試合6G14A、J2では屈指のSBに成長した。 pic.twitter.com/dLNRbjMURR
— 庶民のどせいさん’23 (@nkskit) December 23, 2021
こちらはV・ファーレン長崎でのプレーです。
ボールを持っているときの質の高さはもちろんのこと、ボールを持っていないときにスペースを見つけて走りこむ動きが秀逸だと感じます。
こういったプレーができるサイドバックはチームの攻撃に厚みを加えてくれるので、来年のセレッソの攻撃力は格段にあがるのではないでしょうか。
毎熊選手のご紹介は以上となります。
現在はセレッソ大阪の中心選手として大活躍中。優勝メンバーで喜んでる姿を見たいですね!応援しています!!
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本田
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