守田英正の嫁は、藤阪れいな!年棒や中学の特徴について!

守田 英正(もりた ひでまさ、1995年5月10日 – )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手。

プリメイラ・リーガ・スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。日本代表。

今回は、守田選手のプレー面というよりも、プライベート面について紹介していきます。

守田英正の嫁は、藤阪れいな!

守田英正選手の嫁は、モデルの藤阪れいなさん。

サッカー選手の嫁はモデルが多いですね!

藤阪れいなさんの簡単なプロフィールです↓

出身地:大阪府

誕生日:1月28日

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血液型:O型

所属事務所:ニュートラルマネジメント(NMT inc.)

身長:170cm

靴のサイズ:24.5cm

代表作品1 CM『ABCマート「接客 篇」』

代表作品2 CM『アルプス技研(いくつもの「一流」に会える 篇)』

代表作品3 スチール『ナリス化粧品「パラソーラ」』

職種:モデル

趣味・特技:ピアノ

公式Instagram:藤阪 れいな(@reina_fujisaka) • Instagram写真と動画

公式Twitter:藤阪れいなさん (@reina_fujisaka) / Twitter

公式サイト:https://neutral-tokyo.com/news/nmt-interview-fujisaka.html

引用

藤阪れいなはどんな人?Weblio辞書

藤阪れいな 公式ブログ Powered by LINE (lineblog.me)

YouTube

藤阪れいなさんは、アスリートフードマイスターの資格を持っており、食事面でも守田英正選手を支えています。

守田英正選手がポルトガル、サッカー日本代表で活躍できているのも嫁の食事のおかげと言っても過言ではないでしょう!

守田英正と藤阪れいなは2020年に結婚

守田英正選手と藤阪れいなさんは、2020年1月1日に入籍。

コロナ禍だったため、結婚式は時間を空けて行ったようですね。

結婚式場は、「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA」。

藤阪れいなさんのInstagramの名前の下に出ています。

雰囲気も素晴らしく、2人にピッタリな式場であったと思われます。

幸せそうな2人が印象的ですね。

ちなみに2人の結婚式の様子は、こんな感じです↓

幸せそうな2人が印象的ですね。

結婚式場の「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA」のHPです→公式|ザ・ガーデンオリエンタル・大阪 ウェディング|結婚式場 (gardenoriental.com)

二人の馴れ初めは?

守田英正選手と藤阪れいなさんの馴れ初めは公表されていません。

藤阪れいなさんの趣味がサッカー観戦のようで、そこからつながった可能性が高そうです。

また、サッカー選手の嫁はモデルが多いので、そこからつながっていった可能性も考えられます。

それにしてもサッカー選手の嫁はモデルが多いこと。

次は、誰がモデルと結婚されるのか?楽しみです。

守田英正と藤阪れいなに第一子の長女が誕生

藤阪れいなさんがInstagramで第一子の妊娠を発表されましたね!

また、守田英正選手からも第1子誕生の報告がありましたね↓

女の子のようですね。

気になる名前ですが、公表されていません。

当然と言えば当然ですが・・・。

娘なので、守田英正選手はデレデレなのではないでしょうか?

大きくなった時に、守田英正選手、藤阪れいなさんのどちらに似るのか?楽しみですね。

守田英正の年棒について

守田英正選手の年俸推移はこちらになります!

所属クラブ年俸
2018年川崎フロンターレ460万円
2019年川崎フロンターレ1500万円
2020年川崎フロンターレ2000万円
2021年CDサンタ・クララ1300万円
2022年CDサンタ・クララ1300万円
2022年スポルティング7100万円

守田英正選手は、流通経済大学卒業後、川崎フロンターレに加入しました。

加入1年目から日本代表として、国際親善試合に出場するなど活躍したので、2年目には年俸が3倍以上になっていますね!

この高い評価は、海外クラブから認められて、現在のCDサンタ・クララへ移籍します。

ここで年俸が下がっていますが、これは、クラブの資金力も関わっている様です。

それでも、海外クラブでプレーする道を選んだ守田英正選手からは、大きな舞台で勝負したいと言う強い意志を感じますね!

そして2022年6月、同じくポルトガルのプリメイラ・リーガのスポルティングに移籍が決まりました!

年俸は驚きの、7100万円

一気に5倍以上上がっています!

ポルトガル国内での評価の高さが伺えますね!

守田英正の中学、高校時代は?

 

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サッカー日本代表に欠かせない存在となった守田英正選手。

そんな守田英正選手ですが、中学、高校時代はどんな感じだったのでしょうか?

中学、高校時代から有名な選手だったのでしょうか?

守田英正選手の中学、高校時代について書いていきたいと思います。

中学時代

守田英正選手の出身中学は、高槻市立第九中学校。

全国大会出場経験もある名門校のようです。

なぜ、守田英正選手が中学のサッカー部に乳びしたのかというと、ガンバ大阪のジュニアユースの試験を受けて不合格になったため。

ガンバ大阪のジュニアユースに落ちたことで、クラブチームに入りたいという気持ちが無くなったようです。

守田英正選手は、当時のことをこのように振り返っていました↓

「全国区ではないけど、大阪では中体連の中で強い感じがる中学校でした。でも、何よりもそこの先生、顧問ですね。サッカーのことをすごく知っているわけではないけど、すごく情熱的で、サッカーに対して本気になれる人だった。自分の兄もその人に教えてもらっていたので、その人の下に行きたいなと思ったんです」

引用:F-スポット – ピックアッププレイヤー : KAWASAKI FRONTALE

中学時代は朝練があり、試合に負ければ夜まで練習するほど厳しい環境だったようです。

しかし、顧問の先生のおかげで辞めたいという気持ちにはならなかったようですね。

顧問の先生について、守田英正選手は、

コミュニケーションも取ってくれるし、アフターケアや練習以外のところで寄り添ってくれたり、悩みを聞いてくれたり、サッカー以外のところで勉強会を開いてくれたり。そういうところもちゃんとやってくれた。ピッチの中では厳しいという感じですけど、それ以外の時はそうではなかったんですよね。

引用:F-スポット – ピックアッププレイヤー : KAWASAKI FRONTALE

こういう先生だと厳しくてもついていこうと思えてしまいますよね?

守田英正選手曰く、「1番サッカーに打ち込んでいた」と振り返るぐらい、中学時代は充実していたことでしょう。

高校時代

守田英正選手の出身高校は、金光大阪中学校・高等学校という私立の学校です。

インターハイ、全国高校サッカー選手権大会にも出場している名門校ですよね?

そんな強豪校で3年時はキャプテンで、背番号10を背負いチームの中心選手として活躍していたようです。

全国大会出場を目指していたと思われますが、守田英正選手が在籍時には全国大会出場は叶いませんでした・・・。

激戦区大阪なので、予選を突破するだけでも大変なことなので仕方がないことだと思います。

守田英正選手は高校時代の自分をこのように言っていました↓

「全国大会にも出たことがなければ、全国区の選手でもなかった。埋もれていたと言うか。下手ではなかったですけど、特に上手くもない、という感じでしたね。高校はあまり名の売れていた感じでなかったです」

「下手ではないと思っていましたし、ボールを触ること自体はすごく好きでした」

引用:守田英正、川崎Fの心臓。日本が誇る守備のマルチローラーになれるか? | footballista | フットボリスタ

全国区の選手出なかったようですが、対戦相手からは高い評価を得ていたようです。

ただ、高校時代のころはプロのレベルでなかったのでしょう。

そこで、守田英正選手はサッカーの強豪校である流通経済大学に進学することにしました!

セレクションを受け、1から這い上がった守田英正選手は流通経済大学で大きく成長し、大学No.1ボランチに。

そして、大学4年生時に全日本大学サッカー選手権に優勝し、自身は大会最優秀選手賞を序章しましたね↓

そして、Jリーグの強豪川崎フロンターレに加入することとなりました。

川崎フロンターレでは1年目から多くの試合に出場し、タイトル獲得に貢献した守田英正選手は追加召集でありながら、サッカー日本代表に選出されましたね。

2021年1月にポルトガルのサンタ・クララに完全移籍し、チームの中心選手として大活躍されています。

移籍の噂もあり、どこのクラブへ行くのか?楽しみです。

高校時代の恩師・岩松哲也氏が語る守田英正の凄さとは?

高校時代の恩師である岩松哲也監督は、守田英正選手の凄さを責任感の強さと走力と言っていました。

もともと行動で示すタイプでした。責任感が強く、1年生の時から代表者的な立ち位置もやっていましたし、キャプテンも務めましたから。

技術的なものとか戦術的な理解度は少々できるという程度でしたけど、めちゃくちゃ走れました。学年だけでなく学校全体でトップクラスでしたから。

引用:「中体連出身で並の選手」だった守田英正は、なぜプロ1年目で日本代表入りを掴めたのか? | サッカーダイジェストWeb (soccerdigestweb.com)

と2つを高く評価されていました。

守田英正選手の高校時代は責任感の強さと走力だけだったのでしょうか?

岩松哲也監督は、入学時には並みよりやや上の選手でプロでやれるようなレベルではなかったと言っていました。

プロでやれるようなレベルであれば、高校時代から大きな注目を集めていたはずですからね。

守田正英選手にとっては良かったのかもしれませんね。

大学時代には守備の技術を身に着け、大きく成長することに成功しています。

高校時代に日が当たらなくても努力次第で成り上がれることを証明してくれたのではないでしょうか?

インタビュー記事の最後に、岩松哲也監督は、

「ああいう選手が出てくれることはうちにとっても励みになる。もともとずっと代表できたわけではない。叩き上げでチャンスを生かして入ってきたので。僕たちにもああいう先輩がいると、チャンスがあるから頑張れるぞと。そういうメッセージをあいつはだいぶ、自分の生きざまで伝えているかなと」

引用:「中体連出身で並の選手」だった守田英正は、なぜプロ1年目で日本代表入りを掴めたのか? | サッカーダイジェストWeb (soccerdigestweb.com)

母校から守田英正選手のようなキャリアを歩む選手が出てくるのか?楽しみです。

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サッカー解剖者・本田

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【サイト運営内容】 選手紹介(趣味) 【経験】 公立高校から一年浪人後、大学体育会サッカー部にて、全国2度経験。 サッカーが好きな方に、楽しんで頂く為にツイートしています。 是非、時間があればどうぞ!

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