中村憲剛の嫁(清光加奈子)が病気だという噂が?馴れ初め〜子供とのエピソードも

中村 憲剛(なかむら けんご、1980年10月31日 – )は、東京都小平市出身の元サッカー選手。

元日本代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にトップ下、ボランチ)。

プロデビューから引退まで川崎フロンターレ一筋のバンディエラであり、引退後の現在はクラブのリレーションズ オーガナイザー(FRO)を務める。

今回は、中村憲剛選手のプライベート面を紹介していきます。

中村憲剛の嫁(清光加奈子)が病気だという噂が?

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中村選手のお嫁さんは、次女を妊娠中に前置胎盤と診断され、お嫁さんも危ないと言われていたようです。

入院している時に、お嫁さんと赤ちゃんのどちらか選ばないといけなくなるかもしれないと言われるくらいだったそうです・・・。

そんな中、中村選手はどちらを取るのか決められないままでした。

お嫁さんはそんな中村選手を見て、どちらも諦める必要はないといってくれたようです。

とても辛い中だったと思いますが、そういった強さを持っているお嫁さんがとても素敵だと話題になりました。

中村憲剛の妻『中村加奈子』のプロフィール

2020年に川崎フロンターレを引退したサッカー選手である中村憲剛の妻、中村加奈子は一般の方ということもあり、ほとんど情報が公開されていません。

唯一わかっていることは、中村憲剛と同い年の40歳であるということ、それと中村憲剛と同じ中央大学のサッカー部でマネージャーをしていたということだけです。

今回はそんな妻の中村加奈子と中村憲剛との馴れ初めや子供とのエピソードなど、過去のインタビューなどからわかっている情報を紹介します。

中村憲剛と妻『中村加奈子』の馴れ初め

それでは初めに中村憲剛と妻の中村加奈子との馴れ初めについて紹介します。

2人がどのように出会い、何がきっかけで結婚することになったのか気になる人はぜひ読んでみてください。

出会いは大学4年時

中村憲剛と妻の中村加奈子との最初の出会いは大学4年時のことでした。

中村憲剛は中央大学のサッカー部に入っていましたが、当時のサッカー部は3年生になるまでマネージャーを取らない方針がありました。

しかし、中村憲剛が4年生になり、キャプテンになった時にマネージャーを募集しようという話になったのです。

そのときに応募してきたのが4年生が2人と1年生が4人でした。そして4年生の1人が、現在の妻である中村加奈子だったのです。このとき、初めて2人は出会いました。

初対面で一目惚れしたわけではなかった

サッカー部でキャプテンとマネージャーとして初めて出会った2人でしたが、ドラマのように一目惚れしたわけではありませんでした。

実際、過去にTOKYO FMの番組でのやり取りで「小さくて細かったせいか“1年生のキャプテンなのかな”と思ったらしいです。」と答えています。

このように妻、中村加奈子は中村憲剛に対して最初から恋愛感情を持っていたわけではありません。

中村憲剛も同じようにマネージャーとして入ってきた中村加奈子を見て、特別な何かを感じたわけではないと同じ番組内で答えています。

数か月で付き合い始めた

上記の通り、お互いに初対面で特別な感情を抱いたわけではありませんでした。

しかし、マネージャーとして中村加奈子がサッカー部に入ってきてわずか3、4か月程度で付き合い始めることになったのです。

理由としては先ほどの番組内で「そうですね。「ジャージ貸して」って言われて、俺が貸したりとか。

そういうところから、変に意識をしちゃったんじゃないですかね。」と答えています。

2人はサッカー部のキャプテンとマネージャーという関係上、毎日のように会い、また連絡を取り合う必要がありました。

そして上の言葉の通り、ふとしたことからお互いに意識しはじめて、その結果として付き合うことになったのです。

語学留学後に結婚するという約束をした

大学在学中にはキャプテンとして2部で優勝し、1部昇格などの実績を残した中村憲剛でしたが、Jリーグなどのチームからスカウトはありませんでした。

そのため最初は川崎フロンターレにテスト生として参加し、その後正式に入団することになったのです。

中村憲剛は入団1年目で4得点を記録する活躍をしましたが、2年目に入ったときに中村加奈子は語学留学のためオーストラリアへしばらく行くことになりました。

そして中村加奈子がオーストラリアに向けて出国する前に、1年後日本へ帰ったときに結婚することを約束したのです。

その約束通り、帰国した2004年12月に結婚し、籍を入れることになりました。

中村憲剛は妻との出会いでサッカー人生が変わった?

大学のキャプテンとマネージャーとして出会い、そして結婚した中村憲剛ですが、実は妻の中村加奈子と出会ってから人生が変わったといろいろな場所で話しています。

例えば、2017年の取材では以下のように話しています。

彼女と付き合って結婚してから、僕の人生は落ちてないんですよ

実は中村憲剛は妻の中村加奈子と出会う前の大学3年生時にサッカー部が2部に降格してしまっています。

しかし、妻の中村加奈子と出会った4年生時には先ほども紹介したように2部で優勝し、無事に1部へ昇格を果たしています。

そしてその後テスト生からですが、無事に川崎フロンターレへの入団が決まりました。

入団後は川崎フロンターレでJ2優勝を果たします。

さらにその後も川崎フロンターレのチームとして強くなり、遂にはJ1でも優勝を狙えるようになりました。

また個人としても日本代表に選出され、通算で6ゴールを決める活躍もしました。

このように妻の中村加奈子と出会ってからはサッカー人生がずっと順調に続いているのです。

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中村憲剛と妻との間には子供もいる?

最初の画像を見てもわかる通り、中村憲剛と妻の中村加奈子の間には子供がいます。

そこで次に娘と息子合わせて3人の子供について紹介していきます。

長男の中村龍剛

妻の中村加奈子と結婚してから約4年後の2008年に初めての息子として生まれたのが長男の中村龍剛です。

中村憲剛のプレーを見ていたからか、小学生では父親と同じサッカーをしています。

ちなみに中村憲剛が現役を引退することになった年に長男の中村龍剛は小学校を卒業し、偶然にも息子と同時に卒業を経験しています。

長女の中村桂奈

1人目の息子が生まれてから2年後の2010年、今度は初めての娘となる中村桂奈が生まれました。

中村憲剛の引退セレモニーでは娘としてスピーチを行い、父親の引退をより特別なものにしていました。

次女の中村里衣那

2016年には2人目の娘となる次女の中村里衣那が生まれています。

彼女の名前は兄と姉の名前を1文字ずつ組み合わせて付けたと、中村憲剛はオフィシャルブログで話しています。

中村憲剛の妻・子供とのエピソード

それでは最後に中村憲剛と妻・子供とのエピソードを紹介します。

サッカー選手だった中村憲剛がどのように息子や娘、妻と過ごしてきたのかチェックしてみましょう。

妻の中村加奈子は大事なときに重要なアドバイスをくれた

中村憲剛がまだ現役だったとき、妻の中村加奈子はいつも大事なときにアドバイスをくれていたと取材で話しています。

具体的には以下のように重要なアドバイスをくれていました。

「例えば、身体のどこかが痛くて我慢しながらプレーしているときも、『何回、同じ過ちを繰り返すの? そんなに痛いなら休めばいいでしょ』って言ってくるんです。『無理をして長く休むことになったら、もっとチームに迷惑かけるでしょ』って。

僕が無理するところがあるのもわかっているし、普通のときに言えば反発することもわかっているから、一番落ちこんでいる負けた試合後の、バスに乗っているときとかに電話をかけてくる。

僕が折れるタイミングをわかっていて、言われるたびに妻の言うことは『間違いないな』って思いますよね」

このように妻の中村加奈子は中村憲剛の性格等をしっかりと把握していて、理解できるタイミングに合わせてアドバイスし、夫を支えていたのです。

実際、中村憲剛もその支えに助けられたことがわかっているため、取材等でよく妻に感謝しかないと伝えているのですね。

長男にリハビリの手伝いをしてもらっていた

中村憲剛は現役に、息子にリハビリを手伝ってもらっていたこともあります。

例えば、怪我を診てもらっているドクターとのビデオ電話のときに携帯を持ってもらったり、ボールを投げてもらったりなどです。

もちろん、息子に一方的に手伝ってもらうだけでなく、サッカーをしている息子のためにもなるようにと対面パスなどで基礎を教えたりもしていました。

サッカーに対しての理解度を深める、という建前で一緒にサッカーゲームをしたりもしています。

このように中村憲剛は自分のサッカー選手の環境を活かしつつ、息子ともしっかりとコミュニケーションを取っているのですね。

子供たちと家事をする

中村憲剛はサッカーの予定がない時間はあることを意識して行うようにしています。

それは息子や娘たちとできるだけ家事をする、ということです。

例えば、掃除や洗濯、料理などの代表的な家事をしています。

これは子供でも夫でも家族の一員であると考えているため行っていることだと答えています。

お互いに支え合うというまさに理想的な家族の様子と言えますね。

天皇杯決勝をホテルから見ていた

2017年1月1日に中村憲剛が所属する川崎フロンターレが天皇杯決勝へ進んだことがありました。

当然、家族で応援しに行く予定だったのですが、なんと直前の大晦日に長女が胃腸炎になってしまったのです。

このとき、長女は決勝に出場する父親を心配させたくないと、胃腸炎になったことは伝えないでとお願いしていました。

しかし、妻と子供たちは長女の病気による熱でスタジアムに行くことができず、ホテルから応援することになったのです。

そしてホテルからの妻と子供たちの応援があったものの、残念ながら川崎フロンターレは決勝で勝つことはできませんでした。

中村憲剛と妻・子供たちの間にはこのようなトラブルのエピソードもあったのですね。

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