山根 視来(やまね みき、1993年12月22日 – )は、神奈川県横浜市出身のプロサッカー選手。
Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはディフェンダー。日本代表。
今回は、山根視来選手について紹介していきます!
山根視来の読み方は?
日本代表のサイドバックとして、注目をされている山根視来選手。
名前の読み方は、山根視来(やまねみき)選手と読むらしいです。
湘南ベルマーレより完全移籍で加入した選手で、対人戦の強さと積極果敢な攻め上がりが武器のDF。
スピードが武器のサイドアタッカーとしてプロ入りしたが、3バックのストッパーにコンバートされ新たな才能が開花。
最終ラインで泥臭く体を張り、チャンスと見れば持ち前のドリブルテクニックで自陣からボールを運び攻撃にアクセントをつける選手。
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日本代表カタールワールドカップ本戦出場に大きな寄与した選手です!
兄の影響で、ポジションとプレースタイルが確立した!?
やーまーねー!!!!!
さいこーーー!!!!!
やっぱもってるヤツーーー!!!#frontale #山根視来#サッカー日本代表 pic.twitter.com/996CqjrkzB— ゆうきち🤩🐬 (@kady_u1) March 25, 2021
山根視来は兄の影響を受けてサッカーを始めたとのことですが、それは本当で、兄はサッカー選手だったりするのでしょうか?
川崎フロンターレの公式サイトにサッカーを始めたきっかけについて記載がありました。
サッカーを始めたきっかけ 兄がやっていたから
とのことで、公式にサッカーを始めたきっかけを山根視来は兄の影響であると答え、この兄の影響で山根視来は5歳であざみ野F.C.に加入したそうです。
しかし山根視来の兄についてはきっかけにはなったものの、現在はサッカー系の選手としては名前が出ているわけではないので、サッカー選手ではなさそうです。
山根視来の兄は高木俊幸と仲がいい?
山根視来がサッカーを始めるきっかけとなった兄ですが、山根視来と同じくサッカー選手の高木俊幸と仲がいいとの噂もありましたので、そちらについて調べてみました。
すると、山根視来の兄と高木俊幸の関係についての記事を見つけました。
湘南の山根視来とは、「(山根の)兄が僕と同い年で、あざみ野FCで一緒にやっていた幼馴染」という間柄。「あざみ野FCは土日や祝日しか活動がなかったので、平日は毎日、公園で一緒にボールを蹴っていた。僕がまだサッカーを始めたばかりの、リフティングが数回しかできなかったころ、山根のお父さんにサッカーの基礎の基礎を教えてもらった」そうだ。”
山根視来の兄と高木俊幸が同い年で幼なじみ、平日も山根視来兄弟の父と一緒にサッカーをしていたようで、昔から仲がよかったようですね。
山根視来のプレースタイル、ポジションは?
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山根視来選手のメインポジションは右サイドバック。
そのほかには、左右のハーフ、守備的ミッドフィルダー、センターバックのポジションでプレーしたことがあります。
では、山根視来選手はどんなプレースタイルなのでしょうか?
山根視来選手のプレースタイルの特徴をあげると、
- ドリブル
- ポジショニングの良さ
- スタミナ
- 対人守備の強さ
があげられると思います。
では、それぞれを詳しく見ていきましょう。
ドリブル
山根視来選手のプレースタイルの大きな特徴といえば、ドリブルでしょう。
ディフェンダーの選手とは思えないドリブル突破で攻撃を活性化させてくれます。
細かいボールタッチで密集地帯でもボールを失わない山根視来選手のドリブルは脅威です。
また、ボールを失いかけそうになってもキープできるので相手にとっては嫌な存在。
サッカー日本代表のサイドバックの選手には見られなかったタイプの選手なので期待をする方は多いことでしょう。
私も山根視来選手に期待をしている1人です。
山根視来選手のドリブルの凄さがわかる動画を載せてみました↓
ポジショニング
山根視来選手のポジショニングは絶妙です!
中へ絞ることにより、サイドで待っている選手やな中でボールを受け取りたい選手両者に対応できるポジションを取っています。
それに加え、周囲に合わせてオーバーラップを仕掛ける位置が違うことも素晴らしいですね。
川崎の選手は技術が高く、視野も広いので山根視来選手はやりやすいことでしょう。
山根視来選手は、あるインタビューでこのように答えていました。
「預けて走る、というのが僕の仕事です。走ることで相手のライン下がったり、ボールを持っている人が動きやすくなったりすると思うので。もちろんそれだけではないけれど、仕事の一つとしてやっていきたいと思います」
「サポートの位置についてもみんな本当にいいところにいてくれるので、そこにしっかりつけてもう一度動けるか、敵を見て味方を見て、というところを深めていければと思っています」
「そうやって、深い位置に入っていったときに合わせるパスもそうだし、そこに至るまでの関わりでどうやったら抜け出していけるのか、毎日そのことだけをテーマに練習しているんです」
引用:【川崎F】「預けて走る」。山根視来が魅惑的パスサッカーの翼になる! – サッカーマガジンWEB (soccermagazine.jp)
スタミナ
サイドバックの選手として当たり前のことですが、山根視来選手のスタミナは凄いですよね?
最後尾にいたと思えば、最前線まで駆け上がるスタミナは本当に脅威!
攻守にわたり、チームに貢献をしてくれています。
サッカー日本代表では、驚異的なスタミナを武器に攻撃に大きく貢献してくれるでしょう!
サッカー日本代表には酒井宏樹、室屋成がいますが、その牙城を崩せるのか?
山根視来選手には期待したいところです。
対人守備の強さ
攻撃力に目がいきがちになってしまいますが、山根視来選手は守備力もある選手ですね。
特に、対人守備は強く、相手選手に抜かせません。
相手との間合いの取り方が上手いですし、ボールを奪えると思った時の思い切りの良さは素晴らしいと思います。
また、持ち前のスピードを活かし、後方から追いついてボール奪取もしてくれるので味方は大助かりでしょう!
山根視来選手の華麗なスライディングタックルは見ごたえがありますよ!
綺麗にボールを奪いますね!
山根視来選手はイエローカードをもらうことが少ないことでも有名で、いかに素晴らしいディフェンスをしているのかがわかると思います。
山根視来のプロフィール
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ニックネーム:ヤマネ、ミキ
利き手/利き足(サイズ) :右/右(26.5cm)
生年月日/出身地:1993年12月22日/神奈川県横浜市
星座/血液型 やぎ座/A型
身長/体重 178cm/72kg
山根視来選手は5歳の時にあざみ野F.C.に入団し、その後、東京ヴェルディの下部組織に入団しました。
残念ながら、東京ヴェルディのユースに昇格できず、ウィザス高校へ進学することに。
高校2年時に東日本大震災に見舞われ、桐蔭横浜大学で練習をさせてもらうことになりました。
これがキッカケで、同大学に進学することになりました。
9月11日東京中日スポーツ『首都スポ』は関東大学サッカー #天皇杯 奮戦記。注目はJ1湘南を追い詰めた桐蔭横浜大MF山根視来選手。敗戦を糧にリーグ戦後半逆襲に転じる。JG探偵は中大担当chisatoさん #大学サッカー pic.twitter.com/xifucl6wCW
— 東京中日スポーツ首都スポ 首都圏スポーツ (@syutospo) September 10, 2015
天皇杯で湘南ベルマーレと対戦し、3-4で敗れてしまいましたが、帰り際で練習参加の誘いを受けたようです。
そして、2016年に湘南に加入し、実力を伸ばしていきました。
1年目は負傷で出遅れてしまいましたが、2年目からセンターバックのポジションを勝ち取りました。
🗒ライターコラムfrom湘南✍️
センターバックでチャンスをつかんだ山根視来が実戦で得た経験と課題https://t.co/NIPHd3ome1
隈元大吾さんによる湘南(@bellmare_staff)連載コラム。今回は山根視来選手です。 #サッカーキング #JSK pic.twitter.com/Bk39ToEFBU— サッカーキング (@SoccerKingJP) June 2, 2017
2020年に川崎に移籍し、右サイドバックのポジションを勝ち取り、山根視来選手は能力を発揮!
このシーズンは安定した活躍を見せ、ベストイレブンに選出され、2021年3月にサッカー日本代表に初選出されました。
2017年:公式戦39試合0得点1アシスト(湘南)
2018年:公式戦40試合1得点3アシスト(湘南)
2019年:公式戦35試合2得点1アシスト(湘南)
2020年:公式戦38試合4得点6アシスト(川崎)
2021年も安定したパフォーマンスでアシストを重ねています。
シーズン終了後に、どれだけの数字を残すのか?楽しみなところです。
また、今後、サッカー日本代表に召集され続けるのか?にも注目ですね。
高校・小学校を調べてみた!
高校は、ウィザス高校(現:第一学院高校)(茨城県)。
小学校・中学校は、あざみ野F.C.(神奈川県)─ 東京ヴェルディ1969ジュニア[横浜市立あざみ野第二小学校(神奈川県) ─ 東京ヴェルディジュニアユース[横浜市立あざみ野中学校(神奈川県)]。
高校時代の経験は、より山根選手のことを知れると思うので、まとめておきます!
第一学院入学の選択が、Jリーガーという僕の未来への第一歩となりました。
経歴:東京ヴェルディジュニア-東京ヴェルディJrユース
第一学院高校卒業後、桐蔭横浜大学に進学
湘南ベルマーレ所属 ※取材当時(2019年8月)
プロサッカー選手になりたいという思いを描いた山根さん。第一学院のサッカー部を知り、自分の夢に向かって最大限打ち込める通信制高校を選びました。
サッカーを始めたきっかけはよくある話で、兄や近所のお兄ちゃんに憧れを抱いたからです。
中学時代はヴェルディのジュニアユースにいて、サッカーの実力を5段階に分けるとしたら、僕は2くらいの選手でした。
それでも、プロになりたいという強い想いはありました。
中3の時の監督から、第一学院のサッカー部にチームの先輩が入学していると話を聞いて、第一学院のことを知りました。
僕の1学年上や同学年にすごい選手がいて、監督が非常に立派な方というのも、プロを目指すのに最適な環境だと感じました。
サッカーの練習に最大限時間が使える通信制という点も、僕には合っていました。
勉強も寮生活も、サッカー部のみんなと切磋琢磨し、楽しく過ごすことができました。先生方の応援も嬉しかったですね。
サッカー部は、平日は午前中~午後にかけて練習、夕方にかけて勉強というスタイルです。
練習のあとの勉強は大変でしたが、サッカー部のみんなで教えあいながら行いました。
サッカー漬けとはいえ、1日オフやフリーの時間もあったので、苦労したという感じはありません。
むしろ、通信生だからこそサッカーをメインにした高校生活が送れて良かったと思っています。
最初は嫌だった寮生活も、時間が解決してくれました。
今でも同級生と、1ヶ月ならあの生活に戻ってもいいとよく話します。
思い入れも思い出も尽きないし、本当に楽しかったです。先生は優しい方が多くて、分からないところを聞くとうまく導いてくれました。
距離感も、友だちに近い良い関係を作ってくれました。サッカー部を応援してくれていて、嬉しかったですね。
高校3年間で、サッカーの技術向上はもちろん、寮生活を経験し成長を実感できました。
中学時代の僕を知っている人はみんな、高校を経て「大人になったね」と言ってくれます。
第一学院のサッカー部は上下関係の厳しさはありませんでしたが、寮生活ですし、最低限守らないといけないところはありました。
それで成長できたと感じています。高校は僕にとって本当に大きかったです。
ボールコントロールが難しい土のグラウンドで練習したおかげで、技術が上がりました。
高校で体も大きくなって、試合にも出させてもらって。中学時代2だったレベルが、3くらいの選手にはなれたと思います。
実力だけでなく運もあったと思います。実力があっても運に恵まれない選手がプロになれないのは、残念ながらよくあることなので。
応援と勝利が力になるのは、高校時代も今も同じ。プロ選手としてもひとりの人間としても、自分を高めていきたいです。
プロチームに所属している今は応援してくれる方が大勢いますが、高校時代はそうはいきません。
でも、第一学院は先生方や高萩の地域の人たちがしっかり応援してくれてすごく嬉しかったですね。
今は、勝つとサポーターやファン、観客の方が大きな笑顔で僕たちに声をかけてくれます。昔も今もやっぱり勝利の瞬間は何物にも代えがたいですね。
所属4年目となる今のチームでは、もっとチームを引っ張っていくこと、ひとりの人間としては芯があって頭の回転を早くということを、大事にしています。
そのために、サッカーとの向き合い方や柔軟な対応力、年上年下関係なくしっかり意見を言うことは心掛けています。
あとはやっぱり、ワールドカップの日本代表に入るために、どうすれば良いかが今の課題ですね。
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本田
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