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大迫勇也の年棒推移が、半端ない金額だった!ナイキスパイクの契約・専用スタジアムの場所は?

日本代表として大活躍をみせてくれた大迫選手。半端ないって!は流行語にもなりましたね。

今回は大迫選手のプロデビューから現在までの年俸推移を紹介します!現在、海外で活躍する大迫選手、これまでの最高年俸はいくらなのでしょうか?香川選手や本田選手らと海外リーグで活躍する日本人選手と年俸を比較してみました。

また、スパイクの契約話スタジアムの名前が「大迫」のスタジアムができたらしいですので、「半端ない」内容に最後まで注目です!

大迫勇也の年俸推移①鹿島アントラーズ時代

 

年齢所属チーム年俸
2009年19鹿島アントラーズ360万円
2010年20鹿島アントラーズ1000万円
2011年21鹿島アントラーズ1000万円
2012年22鹿島アントラーズ1500万円
2013年23鹿島アントラーズ2000万円

高校卒業後、鹿島アントラーズと契約し、プロ生活をスタートさせた大迫選手。入団会見には報道陣が100人以上集め、入団から注目を集めました。

1年目の年俸は360万円でしたが、2年目にはすぐに1000万円に大幅アップ!20歳で1000万円を稼ぐとは。やはりサッカー選手には夢がありますね。

大迫勇也の年俸推移②TSV1860ミュンヘン~FCケルン時代

2014年、24歳の時に大迫選手はドイツ2部リーグ1860ミュンヘンへ移籍しました。Jリーグでの19得点マークや日本代表としての活躍が評価されての移籍です。

年齢所属チーム年俸
201424TSV1860ミュンヘン/FCケルン1億2000万円
201525FCケルン1億5000万円
201626FCケルン1億8000万円
201727FCケルン1億8000万円

1860ミュンヘンでの年俸は鹿島時代と比べて6倍に跳ね上がっています!やはり海外サッカーの年俸は日本とは桁違いですね。

2014年のシーズン途中で1860ミュンヘンからドイツブンデスリーガ・FCケルンへの移籍を発表しました。2016年の大迫選手の年俸は1億8000万円となり、自己最高年俸を記録しました。

鹿島アントラーズ1年目と比べて、8年目にして60倍に年俸が伸びたということになります。

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「ケルンはドイツでは大きなクラブですし、 日本の方々にも関心、好感を抱いてもらっていると思います。 それに僕は家族とともにここでの生活を好んでいます。」

と語り、ケルンでのプレーに誇りを持っていたようです。

大迫勇也の年俸推移③ヴェルダーブレーメン時代

2018年から大迫選手はドイツブンデスリーガブレーメンへ移籍しています。2020年ケルンとの契約終了を待たずに、ドイツブンデスリーガ・ヴェルダー・ブレーメンに移籍することになりました。

年齢所属チーム年俸
201828ヴェルダー・ブレーメン非公表

ブレーメンでの大迫選手の年俸は公表されていませんが、その移籍金は約7億9000万円といわれています!まさに「半端ない!」額ですね。

7億9000万円という移籍金はブレーメン史上第7位とのことです。地元メディアは、元ブラジル代表ジエゴ選手と並ぶ移籍金の高さとして大々的に報じました。

まとめるとこちらになります。

在籍チーム在籍年度推定年俸(日本円)
鹿島アントラーズ2009360万円
20101,000万円
20111,000万円
20121,500万円
20132,000万円
1860ミュンヘン2013〜20141億2,000万円
1.FCケルン2014〜20151億2,000万円
2015〜20161億5,000万円
2016〜20171億8,000万円
2017〜20181億8,000万円
ヴェルダーブレーメン2018〜2019非公表
2019〜2020非公表

海外に所属する他の日本人選手の推定年俸を比較してみると、同じポジションにいる岡崎慎司選手(ウェスカ)がレスター時代に貰ってた最高年俸は4億5,000万円武藤嘉紀選手(ニューカッスル)が推定年俸4億円と言われています。

プレミアリーグは、規模も年俸も他のリーグと比較しても桁違いですが、ブンデスリーガは身の丈経営で年俸をそんなに出せない事で有名ですので、大迫選手はかなり評価されているとも言えます。

大迫選手の年俸を他の海外組選手と比較!

大迫選手以外の日本人プレイヤーはどのくらいの年俸をもらっているのでしょうか。そこで主な日本人プレイヤーの最高年俸をまとめてみました!

海外で活躍する日本人サッカー選手の最高年俸はいくら?

選手名最高年俸当時所属チーム
岡崎慎司4億5,000万円レスター・シティ
香川真司11億円マンチェスター・ユナイテッド
本田圭佑7億7,000万円ACミラン
長友佑都4億3,000万円インテルミラノ
長谷部誠6億円フランクフルト
吉田麻也3億9,000万円サウサンプトン

この6人の中で最も最高年俸が高いのは香川選手です!香川選手のマンチェスターユナイテッド時代の年俸11億円!これは日本人歴代最高の数字です。

そして2018年時でも、香川選手はドルトムントから年俸6億5000万円を得ています。この年俸は2018年の日本人プレイヤートップとなっています。香川選手の注目の高さが伺えますね。

大迫選手の2018年の年俸は、日本人プレイヤートップ10入り!

大迫選手の2018年の年俸は日本人プレイヤーの中で第8位となっています。

ハノーファー在籍の原口元気選手、オリンピック・マルセイユ所属の酒井宏樹選手、FSVマインツ05所属の武藤嘉紀選手を抑えての第8位です!そして香川選手、長谷部選手、酒井選手、本田選手、岡崎選手がトップ5に入っています。

そんな中、28歳の若さで第8位の年俸とは驚きです。

ちなみに1億8000万円の年俸はFCケルン時代の年俸です。ブレーメンへの移籍金は7億9000万円でしたので、ブレーメンでの年俸はさらに高くなる可能性もあります!ということで、来年度の大迫選手の年俸がいくらになるのか楽しみですね!

大迫選手の高校時代から現在までの経歴・成績まとめ!

2009年(18歳):全国高等学校サッカー選手権大会決勝進出

初戦で大会史上初4試合連続2得点をマークしたことが大きな話題となりました。決勝では惜しくも広島皆実高校に敗れてしまいましたが、大会全体で10ゴール10アシストの成績を残し、この年の得点王に輝きました。

大迫選手は高校サッカー時代から、注目を集めるスター選手だったのですね。

ちなみにこの時生まれたのが「大迫半端ないって!!」という名言。対戦相手だった滝川第二キャプテンの中西選手が、試合後にロッカールームで大迫選手のあまりのプレーの凄さに発した言葉でした。

2009年(19歳):鹿島アントラーズとプロ契約

その後、高校サッカーでの活躍が注目を集め、6つのJリーグのチームが大迫選手の獲得を競うことに。結果、成長できるチームでプレイしたい」という大迫選手の希望から、鹿島アントラーズへの入団が決まりました。

大迫選手のJリーグデビューは、2009年3月のアルビレックス新潟戦です。翌4月には対FC東京線で初ゴールを決めます。さらに2010年にはアントラーズ3連覇に貢献するなど1年目にしてすばらしい成績を残しました。日本A代表に初選出されたのもこの年です。

2011年10月にはナビスコ杯決勝で決勝点を挙げ、MVPを受賞しました。

2013年には月間MVPリーグを受賞し、全33試合で自己最高19得点を挙げ、Jリーグベスト11に選出!7月には東アジア杯オーストラリア戦で代表デビューも果たしました。

この年は大迫選手の活躍が光り、その後の日本代表、海外移籍につながる1年となったといえます。

2014年(24歳):TSV1860ミュンヘンと契約

2014年1月にドイツ2部リーグの1860ミュンヘンへの移籍を発表しました。その理由として、「成長するために新しく環境を変えてチャレンジするのが1番だと思った。」と語っています。

鹿島アントラーズの中心プレイヤーとして活躍を見せていた大迫選手ですが、移籍は大迫選手がさらに成長するきっかけとなったのでしょう。

1860ミュンヘンは2003~2004年季を最後に2部リーグに降格しているチームですが、ブンデスリーガ優勝、ドイツ杯優勝などを収めた実績のあるチームです。

2月にデュセルドルフ戦に初出場した大迫選手は、その試合で初ゴールを決めます。わずか5か月間の移籍でありながら、15試合に出場し、6得点を挙げる結果を残しました。しかし大迫選手の活躍ももむなしく、チームは低迷していました。

そして、2014年の6月に大迫選手はケルンへの移籍を発表しました。

2014年(24歳):FCケルンへ移籍

2014年6月にドイツブンデスリーガ・FCケルンへの移籍を果たしました。ケルンはその年に1部リーグ復帰が決まったチームです。大迫選手は8月のシュツットガルト戦に先発出場し、移籍後初ゴールを決めました。

この年に大迫選手は結婚し、第1子も誕生しました。転機を迎えた年といえるでしょう。

2015年はおもうような活躍ができなかった大迫選手ですが、2016年には復活し、同年9月シャルケ戦で、同点ゴールを決めて逆転勝ちに貢献。ドイツ紙「ビルト」からはベスト11に選ばれ、ファン投票でも1位に選ばれるなど注目を集めました。

2017年にはドイツ移籍後初となる1試合2得点をマークします。専門誌キッカーからリーグ全体の最優秀選手に選ばれました。しかしチームは低迷し、2018年にケルンは2部リーグ降格が決定しました。

2018年(28歳):ヴェルダー・ブレーメンへ移籍

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ケルンの降格決定後、大迫選手は5月にブンデスリーガブレーメンに移籍を決めました。ケルンとの契約終了の2020年を待たずしての移籍です。

大迫選手が移籍に至るまで、他クラブのハノーファーやデュッセルドルフからも関心が寄せられていたということで、大迫選手への注目の高さがうかがえますね。

移籍先となったブレーメンは今シーズン途中、35歳のフロリアン・コーフェルト氏が指揮官に就任し、監督は開幕から勝ちなしだったチームを10勝7分7敗まで立て直したところでした。

そんなブレーメンからのオファーを受けてケルンから移籍した大迫選手。入団の決め手には監督の存在が大きかったそうです。「監督は入団の決め手の大きな要素です。このクラブのために全力を尽くしたい」と大迫選手は語っています。

移籍後8月のヴォルマティア・ヴォルムス戦で初ゴール、9月にリーグ初得点を決めています。

大迫勇也は、ナイキのスパイクと正式契約!

2019年にナイキのスパイクと正式契約が決定しました。

『Yuya Osako Leave asics Join NIKE』

さて、ブレーメンに所属する日本代表FW大迫勇也選手がNIKE(ナイキ)と契約したことを正式に発表しました。

契約期間は2019年2月からで、今後はナイキのサッカースパイク・ウェアを着用します。

負傷から復帰後、ファントムヴェノムを着用
1月のアジアカップの影響によって背中に関節炎を起こしていた大迫選手。怪我から復帰し、全体練習に合流した大迫選手はナイキのサッカースパイク。

『NIKE ファントムヴェノム エリート』を着用!

強力かつ正確な攻撃をサポートし、精密なシュート・フィニッシュに貢献する。ファントムヴェノムシリーズのトップモデル。

大迫選手はファントムヴェノムの前身である『初代ハイパーヴェノムファントム』2014ブラジルW杯で着用しており、約4年振りにナイキスパイクを着用することとなりました。

大迫勇也の着用スパイク遍歴 まとめ

高校3年時、第87回全国高校サッカー選手権で大会10得点を決め、対戦した滝川第二の選手が「大迫ハンパないって」という明言を残した。その頃に履いていたスパイクは『アディダス アディピュアジャパン FG』です。

アディダスのフィッティングコンセプトスパイク、アディピュアの初代ジャパン仕様トップモデル。アッパー前足部には上質なカンガルーレザーを採用。(アウトソールにはファルカスTOPのFGソールが搭載されていた特注バージョンでした)

その後、2009年に鹿島アントラーズでプロデビュー。2009シーズンは主に『アディピュアジャパン2 FG』を着用。2010シーズンは『アディピュアジャパン3 FG』を着用。

2011シーズンは『アディピュアジャパン4』と『アディパワープレデター』を着用。2012シーズンは『F50アディゼロ2 LEA』を着用。

2009年~2012年末まで約4年間アディダスと契約していました。

2013年からナイキと契約

2013シーズンからナイキと契約。2013シーズンの始め~9月頃まで『ナイキ ティエンポレジェンド4』を着用。

カンガルーレザー採用、NIKEのフィッティングコンセプトスパイクです。プロ入り後、約4年半ほど天然皮革アッパーのスパイクを着用していたのがポイント。

2013年10月頃から『NIKE ハイパーヴェノムファントム』を着用。プロ入りしてから人工皮革のスパイクを履いたのはコレが初。(ただし、このスパイクのナイキスキンアッパーは非常に柔らかでしたが…)

そして2014ブラジルW杯でも『ハイパーヴェノムファントム』を着用し、2015年1月末までハイパーヴェノムファントムを着用しました。

ちなみに、この頃の大迫選手は、ハイパーヴェノムファントムの通常のFGソールやSGソールは使用せずに、特注でティエンポのミドルモデルのFGソールを愛用していました。

ティエンポレジェンド4を履いていた頃からあえてこのFGソールを使用していたので、ここは大迫選手ならではのこだわりが垣間見えます。

2015年2月からアシックスと契約

2015年2月アシックスとの契約を発表。

最初のプロモーション写真では『DSライトX-FLY2』を手に持っていて、実際に2015年2月からの約1か月間半ほどはDSライトX-FLY2を着用していました。

その後、2015年3月中旬頃から『アシックス 初代メナス』を着用開始。2015年8月頃から『メナス2』2016年8月頃から『メナス3』を着用。

2017年から『アシックス DSライトX-FLY3 SL』を着用。そして2018ロシアワールドカップや2019アジアカップでも『DSライトX-FLY3SL』を着用してハンパない活躍を魅せました。

大迫選手の着用スパイク遍歴を振り返ってみると、まずプロ入りして4年半ほど天然皮革のスパイクを愛用していたのがポイント。

23歳ごろまでは天然皮革を着用していたことになります。その後、ハイパーヴェノムファントムで人工皮革スパイクを着用し始め、アシックスと契約してからはメナスシリーズやX-FLY3SLなどの人工皮革スパイクを愛用。

Jの鹿島からドイツのTSV1860ミュンヘンに移籍したのが2014年1月。その頃にはすでにハイパーヴェノムファントムを履いていましたが、

アシックスと契約し人工皮革のスパイクを愛用することになった主な要因は、

外の軟弱なピッチで踏ん張った時にスパイク内で足がズレにくい安定感を重視した点や、濡れているピッチや練習場でも気兼ねなくガンガン履ける人工皮革の優れた耐水性・耐久性など、

人工皮革のメリットを気に入ったからだと思われます。

昨今の大迫選手の的確なポストプレーを足元から支えていたのは他ならぬ、アシックスの人工皮革スパイクだったと言えるでしょう。

「大迫勇也スタジアム」という名前の場所は?

2019年2月27日、鹿児島県南さつま市の加世田運動公園陸上競技場の名前が、同市出身のサッカー日本代表大迫勇也選手(28)にちなんで「OSAKO YUYA stadium」に変わることになりました。

市が大迫選手の今後の帰省に合わせて競技場の命名権を贈り、その授与式から5年間名前を変更しました。

大迫選手は南さつま市のスポーツ少年団でサッカーを始め、鹿児島城西高校、鹿島アントラーズなどを経てドイツのブレーメンに所属。昨年のワールドカップ(W杯)ロシア大会では、日本の決勝トーナメント進出に貢献したのです。

市は、こうした活躍で市民栄誉賞と、副賞の命名権を贈ることを決めたそうです。

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サッカー解剖者・本田

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【サイト運営内容】 選手紹介(趣味) 【経験】 公立高校から一年浪人後、大学体育会サッカー部にて、全国2度経験。 サッカーが好きな方に、楽しんで頂く為にツイートしています。 是非、時間があればどうぞ!

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