【2022最新】松井大輔の年俸推移!デビューから現在・全盛期まで紹介!

松井大輔は日本代表として活躍してきたプロサッカー選手です。今回はそんな松井大輔がプロデビューから全盛期を迎え、そして横浜FCからベトナムへの移籍した現在に至るまで年俸の推移を紹介します。日本トップレベルの選手の年俸が気になる人は参考にしてください。

松井大輔の年俸はいくら!?

松井大輔は2000年にプロデビューしてから、2021年、40歳を超えた今もなお現役として活躍し続けているプロサッカー選手です。日本代表に選ばれたり、2011年にはタレントの加藤ローサと結婚したこともあるので、名前を知っている人も多いです。それではそんな有名なサッカー選手である松井大輔の年俸は一体どのくらいあるのでしょうか。

松井大輔の年俸推移【Jリーグ時代編】

2000年(京都パープルサンガ)400万円
2001年(京都パープルサンガ)700万円
2002年(京都パープルサンガ)1500万円
2003年(京都パープルサンガ)3000万円
2014年(ジュビロ磐田)4000万円
2015年(ジュビロ磐田)4000万円
2016年(ジュビロ磐田)4000万円
2018年(横浜FC)1000万円
2019年(横浜FC)1000万円
2020年(横浜FC)1000万円

松井大輔は海外チームでもプレーしていますが、まずJリーグ時代の年俸の推移から紹介すると上の表の通りとなっています。それではこのJリーグ時代がそれぞれどんなシーズンだったのか、これから詳しく見ていきましょう。

京都パープルサンガ

松井大輔は高校時代の頃から日本代表でプレーしていたあの大久保嘉人などがいた高校を破り、全国高校選手権で準優勝するなどの活躍をしていました。それが認めれられ、数多くのJリーグのクラブからオファーがありました。

その中で松井大輔はサッカー選手として憧れていた三浦知良が所属していた京都パープルサンガへの入団を決めます。プロデビュー1年目にして22試合に出場しますが、チームは負けが込み、J2へ降格していまったのです。しかし、翌2001年のシーズンには37試合に出場してチームに貢献しながら、さらにJ1への昇格を果たしました。

続く2002年には主力の1人として天皇杯優勝というクラブ歴代最高の結果を記録します。ところが2003年には松井大輔と同じ主力メンバーの離脱などが原因でチームの負け数が増え、またしてもJ2に降格してしまったのです。

ジュビロ磐田

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松井大輔は京都パープルサンガの後、海外チームで約10年プレーしていました。しかし、2014年にジュビロ磐田からオファーを受けたことがきっかけで、再びJリーグでプレーすることを決意したのです。

ジュビロ磐田に移籍して最初のシーズンの序盤ではゲームキャプテンとしてもチームを引っ張ります。ゲームキャプテンが変わった後もこれまでの経験を活かし、主力としてチームに貢献します。ところがその貢献は報われず、チームはあと一歩のところで負けてJ1への昇格を果たせませんでした。

翌2015年のシーズンは合計で26試合出場、合計で3得点をマークし、ジュビロ磐田もJ1へ無事に昇格しました。2016年にはレギュラーに定着せず、シーズンを通して無得点で終わってしまいます。2017年も同様にレギュラーに定着できなかったこともあり、2018年から再び海外へ移籍をすることを決めたのでした。

横浜FC

海外挑戦をした後の2018年、再びJリーグの横浜FCへ移籍が決まります。横浜FCの最初のシーズンではベンチ入りを果たしますが、シーズンを通して9試合のみしか出場することができませんでした。

翌2019年には24試合と出場回数が大幅に増え、天皇杯では横浜FCに移籍して初めてのゴールを決めます。その後もゴールを一度決め、チームもJ1への昇格を果たしましたが、2020年には3試合のみの出場で終わってしました。

松井大輔の年俸推移【海外編】

2004年(ル・マン)1億円
2005年(ル・マン)1億円
2006年(ル・マン)1億円
2007年(ル・マン)1億円
2008年(サンテティエンヌ)1億5000万円
2009年(グルノーブル)1億円
2010年(トム・トムスク)1億円
2011年(ディジョン)5000万円
2012年(スラヴィア・ソフィア)4000万円
2013年(レヒア・グダニスク)4000万円
2017年(オードラ・オポーレ)2000万円
2021年(サイゴンFC)1000万円

松井大輔が海外でプレーしていた時の年俸の推移が上の表の通りです。海外に出て初めて1億円を超え、全盛期には1億5千万円の年俸を記録しています。それではこれからそれぞれがどのようなシーズンだったか、現在の最新情報も含めて詳しく見ていきましょう。

ル・マン

2004年から京都パープルサンガからこのル・マンへレンタルで移籍した松井大輔は、いきなりチームの主力となり、1部昇格の可能性が見える2位までル・マンを引っ張りました。この活躍ぶりから「ル・マンの太陽」と呼ばれたほどです。そして翌2005年には完全移籍となり、前年と同じようにゴールやアシストを決め、チームに貢献します。

2006年にも活躍は続き、日本人歴代初となるル・マンUCでの月間MVPを獲得しました。2007年には腰痛が発症してしまうものの、シーズン後半には2ゴール1アシストを記録します。2008年では腰痛などに苦しむことなく、以前通りの活躍をし、34試合出場5ゴールでチームに多大な貢献を果たしました。

サンテティエンヌ

ル・マンでの契約が終了した後、松井大輔は当時リーグ10度の優勝を果たしていたサンテティエンヌへ移籍します。シーズンのはじめは出場機会に恵まれませんでしたが、監督が代わってからは徐々に試合への出場機会が増えていきました。そして合計で22試合1ゴールの記録を残しました。

ちなみに上の表の通り、このサンテティエンヌのときにサッカー選手としての市場価値が最も高くなり、年俸は1億5千万円となりました。

グルノーブル

サンテティエンヌとは3年契約でしたが、2010年に日本代表としてワールドカップに出場するために試合への出場機会を求めてグルノーブルへ移籍しました。出場機会は増えましたが、グルノーブルとしては勝ちきれずに2部へ降格してしまったのです。

トム・トムスク

グルノーブルで2部に降格後は1部リーグでの出場を目指していた松井大輔でしたが、中々交渉が上手く決まりませんでした。そして移籍期間の終盤でなんとかロシアプレミアリーグのトム・トムスクへのレンタル移籍が決まります。しかし、トム・トムスクへの移籍後は出場機会に恵まれずにそのままシーズンを終え、グルノーブルへ復帰することになりました。

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ディジョン

グルノーブルへ復帰した松井大輔でしたが、グルノーブルはなんと3部、4部へと連続で降格しました。4部ではプロ契約自体ができないため、松井大輔はディジョンへ移籍金なしのいわゆるフリートランスファーで完全移籍することになったのです。しかし、今度は左足首を痛めてしまうなどのトラブルに見舞われ、シーズン合計で3試合しか出場が叶いませんでした。

スラヴィア・ソフィア

出場機会にほとんど恵まれなかった松井大輔はブルガリアのスラヴィア・ソフィアへの移籍を決めます。しかし、再び怪我に悩まされてしまうのです。出場数は11試合と増えてはいますが、それでも全盛期と比べると減ってしまっていました。

レヒア・グダニスク

スラヴィア・ソフィアでも出場機会に恵まれなかった松井大輔は、ポーランドのレヒア・グダニスクへ移籍します。レヒア・グダニスクではチームメイトなどからの信頼が厚く、出場機会も16試合に増えました。ゴール数も4と伸ばし、松井大輔としては久しぶりの活躍が目立ったシーズンとなったのです。

オードラ・オポーレ

ジュビロ磐田でレギュラーとして定着できず悩んでいた松井大輔は2017年にポーランドのオードラ・オポーレへ移籍を決めます。4試合の出場を果たしますが、ゴールは決められずにシーズンを終え、再びJリーグへ戻ることになりました。

サイゴンFC

最新情報となるのがこの2021年に移籍したサイゴンFCでのシーズンです。しかし、中々活躍できず、チームも歴代ワーストとなる5連敗を記録するなど苦しみました。そして2021年のシーズン前期が終わったときに、戦力構想外とされて選手登録の抹消が決まったと現地のメディアが報道しました。

しかし、それは間違いです。本人がインスタグラムの投稿で試合に出場したという報告もしていますし、自身が担当している連載でも以下のように書いているのです。

ひとつ言えるのは、実際のところは何もなかったということ。リーグ戦の登録を抹消されたわけではないし、東南アジア諸国のクラブと対戦するカップ戦にも登録されています。だから、なぜああいった報道が出てしまったのか、とても不思議です。

このように本人も公式に否定していますので、2021年の現在もなおチームに所属しているというのが正しい認識だと言えるでしょう。

松井大輔と他日本代表の年俸比較

それでは続けて松井大輔と他の日本代表との年俸を比較してみましょう。歴代最高の年俸をもらっていた選手も紹介するので、どのくらいの違いがあるのか確認してみてください。

中村俊輔

松井大輔と同じ時期に一緒に日本代表に選出されたことのある中村俊輔の年俸はJリーグでも海外チームでも1億円であるシーズンが多くありました。全盛期での最高年俸はセルティックに所属していたときの2億4000万円です。

遠藤保仁

遠藤保仁も中村俊輔と同様に松井大輔と共に日本代表に選出されたことのある選手です。そんな遠藤保仁の年俸は2009年以降、最新情報となる2021現在までずっと1億円以上をキープしています。全盛期の時の年俸はガンバ大阪での1億8000万円でした。

長谷部誠

日本代表のキャプテンとしてチームを率いた長谷部誠も松井大輔と同時に日本代表になったことがあります。そんな長谷部誠の年俸は2010年以降1億円以上キープしており、2014年以降ではなんと5億円以上をキープし続けているのです。全盛期の年俸は2021年のまさに最新情報と言えるフランクフルトでの6億円です。

香川真司

長谷部誠と一緒に日本代表を引っ張った1人である香川真司の年俸は2011年から2019年までは1億円以上ありました。その中での全盛期の年俸はマンチェスターユナイテッドでの11億円でした。これは日本人歴代最高の年俸でもあります。ちなみに最新情報となる2021年の段階ではPAOKと3000万円の年俸で契約しています。

大久保嘉人

大久保嘉人も日本代表として選ばれた選手の1人です。遠藤保仁と同じく国内でしかプレーしたことがありません。そんな大久保嘉人の年俸は2021年では2000万円となっていますが、過去にはFC東京で全盛期となり、1億2000万円の年俸をもらっていました。

その他、松井大輔に関する記事もチェック!

それでは最後に松井大輔に関しての他の記事を紹介します。松井大輔についてより知りたい人は読んでみてください。

松井大輔の結婚について

最初にも少し触れましたが、松井大輔はタレントの加藤ローサと結婚しています。そんな松井大輔の結婚に関する情報をこちらの記事では詳しく解説しています。

他の記事

松井大輔の年俸は日本人選手トップレベル

今回紹介したように松井大輔の年俸は日本人選手の中でもトップレベルです。直近では選手登録を抹消されたという間違った報道がありましたが、実際にはチームに所属しており、練習等を続けています。そのため安心して、今後の活躍にも期待しましょう。

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