ユンゲル・クロップ監督の監督歴/指導歴は?ドルトムント時の香川との関係も公開!

クロップ監督は、今やサッカー界においてトップクラスの監督です。今回は、そんな監督の過去から現在の軌跡を紹介していきます。

ユンゲル・クロップ監督の監督歴/指導歴は?

クロップ監督は、今やリバプールの監督で印象が強いです。実際は、どんな監督歴や指導歴があるのか気になっている人が多いので、見ていきます。

監督歴

マインツ監督時代(2008年)

2001年にマインツ05の監督に就任すると、財政的に小規模なクラブを2004年にブンデスリーガ1部昇格に導き、初の1部挑戦となった翌2004-05シーズンにはマインツは11位でリーグ戦を終え1部残留と健闘をみせた。マインツでは、モハメド・ジダン、レオン・アンドレアセン、マヌエル・フリードリヒらを育成した。2006-07シーズンは降格となり、2007-08シーズンは2部4位となり昇格を逃した。

ドルトムント監督時代(2010年)

2008-09シーズンより、低迷の続くボルシア・ドルトムントの監督に就任。前半戦はUEFAカップでウディネーゼ・カルチョに敗退するなど苦戦したものの、後半はチームがかみ合い快進撃を演出。ドルトムントにおいても、ネルソン・アエド・バルデスの復活やネヴェン・スボティッチのブレイクを助けるなど、優れた指導力を発揮している。最終節で6位となり、ヨーロッパカップ戦への出場権を獲得出来なかったが、終盤にリーグ戦7連勝を達成するなど、古豪復活に向けて基盤を固めた。

スポンサーリンク

2009-10シーズン以降、ケヴィン・グロスクロイツ、ヌリ・シャヒン、スヴェン・ベンダー、マリオ・ゲッツェらの若手を次々とブレイクさせる。2010-11シーズンにおいては夏の移籍で獲得した香川真司が即フィットし、ドルトムントはリーグ前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成。後半に入っても勢いは止まらず、チームは2001-2002シーズン以来の優勝を果たした。2011-12シーズンでは開幕当初は低調なスタートに沈むも、その後は最終戦までブンデスリーガ新記録となるリーグ戦28試合連続で無敗・勝ち点81を成し遂げて2シーズン連続の優勝を果たした。

2012-13チャンピオンズリーグ決勝にチームを導いたが同国のライバルチームであるバイエルンに敗れた。2013年FIFAバロンドール最優秀監督賞の候補に挙がったがユップ・ハインケスに敗れ2位となった。

14-15シーズンは序盤から大苦戦し、前半戦をリーグ最下位で折り返すという波乱のシーズンとなった。2015年4月15日、7シーズン指揮したボルシア・ドルトムントの監督を退任することを発表した。

2015年10月8日、プレミアリーグの名門リヴァプールFCの監督に就任。プレミアリーグではフェリックス・マガトに次ぐリーグ史上2人目のドイツ人監督となる。 就任初年度は、フットボールリーグカップ、UEFAヨーロッパリーグと2つの大会で決勝進出を果たしたが、共にタイトル獲得はならなかった。

2016-17シーズンはプレミアリーグで第4位となり、プレーオフからの出場ながらUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に成功した。

2017-18シーズンに、モハメド・サラー、アレックス・オックスレイド・チェンバレン、シーズン途中にビルヒル・ファン・ダイクを獲得。UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝ではマンチェスター・シティFCを、準決勝ではASローマを破り、チームを2007年以来の決勝に導いた。決勝はレアル・マドリードに1-3で敗れた。

2019年5月8日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝FCバルセロナ戦にて1stレグを0-3と大敗しながらも、ホームでの2ndレグで主力であるモハメド・サラーやロベルト・フィルミーノ等の選手が怪我等で欠場した中、ディヴォック・オリジ、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、トレント・アレクサンダー=アーノルドらの活躍により4-0と奇跡の大逆転で勝利を収め2年連続決勝出場を果たすと、決勝では後半途中に怪我上がりのフィルミーノに変えてオリジを投入、そのオリジが試合を決定付けるゴールを決める采配を的中させるなど、トッテナムを2-0で破りチームに14年ぶりのチャンピオンズリーグ優勝をもたらし、自身も3度目のチャンピオンズリーグ決勝にして初めての優勝を果たした。

一方リーグ戦では僅か1敗という好成績を残したがマンチェスター・シティに勝ち点1及ばずリーグ優勝を逃した。

2019-20シーズンは開幕から順調に勝ち点を獲得し、12月4日のエヴァ―トン戦でプレミアリーグ通算100勝を達成した。監督就任から159試合での100勝はリヴァプール史上最速であり、プレミアリーグとしてもジョゼップ・グアルディオラの134試合、ジョゼ・モウリーニョの143試合に続く歴代3位であった。また同試合において32試合無敗のクラブ新記録も達成した。

12月10日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのRBザルツブルグ戦に勝利し決勝トーナメント進出を決め、2日後の13日には契約を2024年まで延長したことがクラブ公式サイトより発表された。FIFAクラブワールドカップでは準決勝でCFモンテレイを2-1、決勝でCRフラメンゴを1-0で破り、前身のインターコンチネンタルカップを含め初のクラブワールドカップ優勝に導いた。

指導歴

ボルシア・ドルトムント時代に実践したカウンター戦術「ゲーゲンプレス」を考案した第一人者でもある。本人は、スペインの強豪「FCバルセロナ」が2000年代に駆使していた守備戦術を参考にし、独自に構築したものと明かしている。

ドルトムントで同戦術が最も機能し始めた2010年からの2シーズンは、ブンデスリーガを連覇。出場したUEFAチャンピオンズリーグでも、格上と評されていたレアル・マドリードなどの強豪を撃破し、2013年に決勝進出している。

次に就任したプレミアリーグ「リヴァプールFC」においても同戦術を駆使し、2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝。翌2018-19シーズンにも決勝に進出し、悲願の優勝を果たした。

監督成績

2018年5月26日現在

チーム就任退任成績
試合数勝ち引き分け負け勝率脚注
1.FSVマインツ052001年2月27日2008年6月30日270109788340.37
ボルシア・ドルトムント2008年7月1日2015年5月30日318179697056.29
リヴァプールFC2015年10月8日現在15280442852.63
合計64131816316049.61
獲得タイトル
ボルシア・ドルトムント
  • ブンデスリーガ : 2010-11, 2011-12
  • DFBポカール : 2011-12
  • DFLスーパーカップ : 2013, 2014
リヴァプールFC
  • UEFAチャンピオンズリーグ: 2018-2019
  • UEFAスーパーカップ: 2019
  • FIFAクラブワールドカップ : 2019

個人

  • ドイツ年間最優秀監督賞 : 2011, 2012
  • プレミアリーグ月間最優秀監督 :2016年9月,2018年12月,2019年3月,2019年8月,2019年9月,2019年11月,2019年12月,2020年1月

ドルトムント歴代監督

  • ヘルマン・エッペンホフ 1961-1964
  • ハインリヒ・クフィアトコフスキ 1964
  • ヘルマン・エッペンホフ 1964-1965
  • ヴィリ・ムルタウプ 1965-1966
  • ハインツ・ムラフ 1966-1968
  • オスヴァルド・プファウ 1968
  • ヘルムート・シュナイダー 1968-1969
  • ヘルマン・リンデマン 1969-1970
  • ホルスト・ヴィッツラー 1970-1971
  • ヘルベルト・ブルデンスキ 1972-1973
  • デトレフ・ブリュッゲマン 1973
  • マックス・ミヒャレク 1973
  • ベードル・ヤーノシュ 1973-1974
  • ディーター・クーラト 1974
  • オットー・クネフラー 1974-1976
  • ホルスト・ブフツ 1976
  • オットー・レーハーゲル 1976-1978
  • カール=ハインツ・リュール 1978-1979
  • ウリ・マスロ 1979
  • ウド・ラテック 1979-1981
  • ロルフ・ボック 1981
  • ブランコ・ゼベツ 1981-1982
  • カール=ハインツ・フェルトカンプ 1982-1983
  • ヘルムート・ヴィッテ 1983
  • ウリ・マスロ 1983
  • ヘルムート・ヴィッテ 1983
  • ハンス=ディーター・ティッペンハウアー 1983
  • ホルスト・フランツ 1983-1984
  • ティモ・コニェツカ 1984
  • ラインハルト・ザフティヒ 1984
  • エーリッヒ・リベック 1984-1985
  • チェルナイ・パール 1985-1986
  • ラインハルト・ザフティヒ 1986-1988
  • ホルスト・ケッペル 1988-1991
  • オットマー・ヒッツフェルト 1991-1997
  • ネヴィオ・スカラ 1997-1998
  • ミヒャエル・スキッベ 1998-2000.2
  • ベルント・クラウス 2000.2-2000.4
  • ウド・ラテック 2000.4-2000.6
  • マティアス・ザマー 2000.7-2004
  • ベルト・ファン・マルワイク 2004-2006.12
  • ユルゲン・レーバー 2006.12-2007.3
  • トーマス・ドル 2007.3-2008.5
  • ユルゲン・クロップ 2008.5-2015.6
  • トーマス・トゥヘル 2015.7-2017.5
  • ピーター・ボス 2017.6-2017.12
  • ペーター・シュテーガー 2017.12-2018.5
  • リュシアン・ファーヴル 2018.5-

リバプール歴代監督

スポンサーリンク

#氏名在籍年現所属備考
1イングランドの旗 ウィリアム・バークレー
イングランドの旗 ジョン・マッケンナ
1892年8月1日 – 1896年8月1日
2イングランドの旗 トム・ワトソン1896年8月1日 – 1915年5月31日
3在任コーチ無し1915年5月31日 – 1920年12月1日
4イングランドの旗 デビッド・アシュワース1920年12月1日 – 1922年2月1日
5スコットランドの旗 マット・マックイーン1923年2月1日 – 1928年2月1日
6イングランドの旗 ジョージ・パターソン1928年2月1日 – 1936年5月1日
7イングランドの旗 ジョージ・ケイ1936年5月1日 – 1951年2月28日
8イングランドの旗 ドン・ウェルシュ1951年3月1日 – 1956年5月1日
9イングランドの旗 フィル・テイラー1956年5月1日 – 1959年11月30日
10スコットランドの旗 ビル・シャンクリー1959年12月1日 – 1974年7月12日
11イングランドの旗 ボブ・ペイズリー1974年7月26日 – 1983年5月23日
12イングランドの旗 ジョー・フェイガン1983年5月23日 – 1985年5月30日
13スコットランドの旗 ケニー・ダルグリッシュ1985年5月30日 – 1991年2月22日
14イングランドの旗 ロニー・モラン1991年2月22日 – 1991年4月16日
15スコットランドの旗 グレアム・スーネス1991年4月16日 – 1994年1月28日
16イングランドの旗 ロイ・エヴァンス1994年1月28日 – 1998年11月12日
17イングランドの旗 ロイ・エヴァンス
フランスの旗 ジェラール・ウリエ
1998年7月1日 – 1998年11月12日
18フランスの旗 ジェラール・ウリエ1998年11月12日 – 2001年10月14日
19イングランドの旗 フィル・トンプソン2001年10月14日 – 2002年3月16日
20フランスの旗 ジェラール・ウリエ2002年3月17日 – 2004年5月24日
21スペインの旗 ラファエル・ベニテス2004年5月24日 – 2010年6月3日中華人民共和国の旗 大連一方 監督
22イングランドの旗 ロイ・ホジソン2010年7月1日 – 2011年1月7日イングランドの旗 クリスタル・パレス 監督
23スコットランドの旗 ケニー・ダルグリッシュ2011年1月9日 – 2012年5月16日
24北アイルランドの旗 ブレンダン・ロジャーズ2012年6月1日 – 2015年10月4日イングランドの旗 レスター・シティ 監督
25ドイツの旗 ユルゲン・クロップ2015年10月8日 –イングランドの旗 リヴァプール 監督

ユンゲル・クロップ監督とドルトムント時の香川真司との関係は?

現リバプールの監督のクロップ監督。ドルトムント時の香川真司選手との関係はいったいどうだったのか、気になるので見ていきます。

香川と過ごしたドルトムントでの2年間について回顧「彼のことが大好きだった」

 リバプールのユルゲン・クロップ監督が、ドルトムント時代の教え子である日本代表MF香川真司(サラゴサ)について回想。獲得が決まった直後、「我々はスーパープレーヤーを手に入れた」と歓喜していたことを明かした。英サッカー情報サイト「トライバル・フットボール」が指揮官のコメントを伝えている。

リバプールと言えば、現在はオーストリア1部ザルツブルクの日本代表MF南野拓実獲得が話題となっている。クロップ監督は会見で南野については詳しく語らなかった一方で、同じ日本人ということでかつての教え子である香川との思い出について語っている。

「シンジ・カガワとともに働けたのは素晴らしいものだった。彼のことが大好きだったよ。私にとって素晴らしい経験だった。シンジに会うまで、私は日本のフットボールについて知識がなかったからね」

クロップ監督は香川と出会い、日本人プレーヤーに対する印象が変わったようだ。さらに香川の獲得を決めた当時のことについても、こう振り返っている。

「ビデオを見て彼の獲得を決めたが、100%の確信はなかった。だが彼の最初のトレーニングを見た後、『オーマイゴット、我々はスーパープレーヤーを手に入れた』とドレッシングルームでコーチたちと抱き合ったよ」

香川はドルトムントに加入し、2年後にはマンチェスター・ユナイテッドへとステップアップを果たした。クロップ監督とともに戦ったのはわずか2年間だったが、与えたインパクトは絶大だったようだ。

すでにリバプールが獲得合意と伝えられ、今冬の加入が現実味を帯びている南野もこのドイツ人指揮官に感銘を与えることはできるのだろうか。

おそらく、香川選手は人間的にも優れていたのだろう。クロップ監督と関わる選手、好かれる選手は、みんな優れた人間性を持っているように思います。それが、一流選手の必須条件のように思えます。

クロップと香川が紡いだ5年間。その身は離れようとも…変わることのない愛情と信頼

ドルトムントの2014-15シーズン全日程が終了時と同時にユルゲン・クロップ監督が退任した。この世界屈指の指揮官には多くの選手が師事したが、その中でも香川真司の存在は別格だった。ここでは、2010-11シーズンから続く2人の師弟関係を振り返る。

移籍金約4800万円も即チームの中心となった香川


ユルゲン・クロップ監督【写真:Getty Images】

ちょっとしたところに人間関係の素顔が垣間見えることがある。今季とあるドルトムントのホームゲームの後で、ミックスゾーンで香川真司が取材の受け答えをしていると、ユルゲン・クロップが通りかかった。

クロップが香川を軽く叩いてちょっかいを出す。

香川がはにかむ。

隠しきれないものが本音だとするならば、この一瞬に二人の間柄が素直に現れているようだった。

およそ5年前の2010年9月19日、ブンデスリーガ10-11シーズンの第4節、ドルトムントはアウェイでシャルケと戦う。19分、エリア手前の中央へドリブルで向かうと、香川は左足を振り抜いて先制する。

会心のゴールに、クロップはハイジャンプして拳を宙に叩きつけた。香川は58分に追加点を決め、3-1での勝利に貢献する。試合後にクロップは香川をこう評した。

「シンジ・カガワが非常に優れたサッカー選手だということは分かっていた。ただ、これほど早く順応するとは思わなかった。まだ21歳で、家族を母国に置いて通訳だけを連れてやってきた。しかし今、彼は歴史にその名を刻んでいる」

その年の夏、香川はブンデスリーガにやって来た。ドルトムントが35万ユーロ(約4800万円)の育成補償金を支払うことで、セレッソ大阪からの移籍は成立する。移籍金の額はチームの期待度の現れでもある。

もちろんドルトムントは香川の才能を見抜いた上で、熱意を持って獲得した。それでもお試し感があったことは否めない。しかしダービーでのブレイクは、クロップの想像を超えるものだった。

そしてクロップは香川の才能にますます惚れ込んで行く。キッカー紙がシャルケ戦の香川を「空に解き放たれた鳥」と評したように、躍動の香川は前半戦の全17試合に先発して8ゴールという結果を残した。

最初の別れとなった香川のユナイテッド移籍


11-12シーズン終了後に香川はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決断【写真:Getty Images】

シャルケ戦の後のコメントにも見て取れるように、クロップは選手のことをサッカー選手としてだけではなく、一人の人間としても見るところがある。選手としての能力だけでジャッジして、切り捨てるようなところはない。

極東の国から独りでやって来て、異国の地で奮戦する姿は、人情深いクロップの心を惹きつけたのだろう。

ブンデスリーガにデビューしたシーズンの後半戦を、香川は1月のアジアカップで負った怪我が元で棒に振ることとなったが、早くも1年目でクロップと香川の信頼関係は強固なものとなっていた。

そしてそれは、香川がドルトムントでの2シーズン目を終える頃には揺るぎないものとなる。序盤こそチームも香川も不調に喘いだが、シーズンが終わってみれば13ゴールを挙げて、香川はドルトムントの2連覇に貢献した。

ポカール決勝では1ゴールを決めて、バイエルンを破って優勝する。このドルトムントの輝かしい2年間の中心に、香川とクロップがいたことは間違いなかった。

そして別れの時を迎えることになる。11-12シーズン終了後に香川はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決断する。サー・アレックス・ファーガソンに請われ、移籍金の額は1500万ユーロ(約20億4000万円)となった。

もはやお試し感はどこにもない。正真正銘のフットボーラーとして、香川は巣立ちのときを迎えたのだ。クロップは学校を卒業する教え子を送り出すようだった。

「シンジは今まで指導した選手の中でも最高の選手と言えるだろう。彼は素晴らしい人間であり、素晴らしいスポーツ選手でもある。彼なら世界中どこのクラブに行ってもプレーできる」

しかしマンチェスターへの移籍は、結果的には成功したとは言い難いものとなった。ファーガソンが指揮を取った1年目はドルトムント時代の片鱗を見せるに止まり、2年目はデイビッド・モイーズの信頼を得ることが出来なかった。そして3年目にファン・ハールは香川を構想外とする。

理想通りとはいかなかった2人の再会後

再会は思い掛けずやって来る。昨季のゲッツェに続いてレヴァンドフスキという大黒柱が抜け、14-15シーズンのレバークーゼンとの開幕戦を落とすと、続くアウクスブルク戦も3-2とドルトムントは不安定な戦いを強いられていた。

そして香川が抜けた後で主力となったロイスも、欧州選手権予選のスコットランド戦で負傷して離脱してしまう。ドルトムントは苦境に喘いでいた。

そこでマンチェスターからの移籍を決断していた香川を、クロップは再獲得する。クロップの中で残像は根強く、香川への信は少しも揺らいでいなかった。

「彼はとても、とても優れた選手だ。我々をさらに良くするだろう。彼が再びここにいるということは、とてつもなく素晴らしいことだ」

ロイスだけでなくブワシュチコフスキも抜けていたこともあって、香川を再獲得するや否やクロップは、2014年9月13日の第3節フライブルク戦で即座にピッチへと送り出した。あのシャルケとのダービーから、4年の月日が流れていた。

「彼との契約以来、ロイスとクーバが負傷した。だから今私は、彼が当初は穏やかに観客席から試合を眺めることが出来るとは言えない。シンジは今すぐ必要とされている。ドルトムントの雰囲気は彼を戦いへと掻き立て、鼓舞し得るだろう!」

そして香川は、期待に応えた。フライブルク戦で1ゴールを挙げる活躍を見せ、ドルトムントは勝利する。香川とクロップの、第二の黄金時代が始まる。BVBを愛する誰もが予感を抱いた。

しかし現実は違った。香川はかつてのパフォーマンスを取り戻せず、ドルトムントも不振に喘いだ。順位はズルズルと下がり、第13節には最下位に落ちてしまう。そして香川は先発の座を失った。

終盤には復調。2度目の別れも変わらぬ愛情

クロップが世界中どこのクラブに行ったとしても、香川に対する愛情は変わらないだろう【写真:Getty Images】

後半戦に入ると、香川も先発の座を取り戻し、チームとともに徐々に復調の兆しを見せたが、3月に入ると再び失速してしまう。ハンブルク、ケルンに勝ち切れず、4月にはバイエルン、ボルシアMGといった上位陣に勝つことができない。そして自らの限界を悟ったクロップは、辞任を表明する。

突然の知らせだったが、香川のクロップへの信は揺らがなかった。

「チームもこういう状況だったので、その決断は監督が決めたことだから、しっかりと尊重する」

香川は、クロップへの感謝の気持ちを表した。

「もちろん僕が移籍してきて、使ってくれて、ヨーロッパで優勝出来て、色々な経験をさせてくれた。それは本当に感謝の気持ちで一杯ですから、しっかり最後はいい形で締めて終わりにしたいです」

クロップが辞任を表明した後、じわじわとドルトムントは順位を上げて、ヨーロッパリーグ出場権の獲得となる7位に辿り着いた。香川もパーダーボルン戦、フランクフルト戦に続き、最終戦のブレーメン戦では、1ゴール2アシストと、かつてのような輝きを放った。

そして迎えたポカール決勝の前日記者会見でのこと――。

クロップは香川の先発を明言した。

「カガワのような才能ある選手がずっと鳴りを潜めたままなんてことはありえない。決勝を前に、再び輝きを見せ始めてくれて嬉しい。彼の勢いを止めるつもりはない」

2015年5月30日のポカール決勝をボルフスブルクに敗れて、ドルトムントでのクロップの時代は終わった。しかしそれは、クロップと香川の師弟関係の終わりを意味するのだろうか。

この5年間を振り返れば、ドルトムントを後にするクロップが世界中どこのクラブに行ったとしても、香川に対する愛情は変わらないだろう。2人の間柄は、この先も続いていくはずだ。クロップと香川が紡いだ月日は、フットボールの世界でも稀に見る、何にも代え難いものだった。

スポンサーリンク

The following two tabs change content below.
サッカー解剖者・本田

サッカー解剖者・本田

現役時代に2度の全国大会を経験。 Jリーガーとプロの海外選手に指導を受け、「なぜ、日本の選手が上手くならないのか?」に気づき、そのサッカーでの『気づき』を子供たちに教えている。 また、小・中合わせて200人前後のサッカークラブの指導者として、サッカー上達に向けて指導している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

ABOUTこの記事をかいた人

サッカー解剖者・本田

現役時代に2度の全国大会を経験。 Jリーガーとプロの海外選手に指導を受け、「なぜ、日本の選手が上手くならないのか?」に気づき、そのサッカーでの『気づき』を子供たちに教えている。 また、小・中合わせて200人前後のサッカークラブの指導者として、サッカー上達に向けて指導している。