吉田麻也の移籍金・移籍推移はいかに?!移籍先、サンプドリアでの背番号は、「34」!

日本代表の守備網を守るディフェンスリーダーとしてだけでなく、チームのキャプテンを牽引している吉田麻也選手。イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンFCに所属し中心選手の一人として大活躍していましたが、セリアAのサンプドリアに移籍しました。

そんな、吉田麻也選手ですが、当然、最初からイングランドで成功していたわけではありません。年収だって、サッカー選手としての実績を積み重ねながら増やしていっています。

では、吉田麻也選手の年収・年俸が、プロデビューしてから現在までで、どれほど違っているのでしょうか。本記事では、吉田麻也選手のサッカー経歴とともに、これまでの年俸・年収の推移や、クラブ移籍金を調査し、まとめていきます。

吉田麻也のサッカー経歴

GKとともに、ゴール前を守るDFの一人として、また、守備陣を牽引するディフェンスリーダーとして、国内外で活躍する吉田麻也選手。

これまでの日本代表を牽引してきた、

  • 中澤佑二(2019年1月8日、現役引退)
  • 宮本恒靖(現ガンバ大阪監督)

に続き、DF出身のキャプテンとして、森保ジャパン発足後、前キャプテンの長谷部誠選手から、キャプテンの座を受け継いでいます。もちろん、キャプテンとしては、まだ日が浅く、これからチームを一つにまとめながら、認めてもらえるような存在にならなければなりません。

そのことは、吉田麻也選手自身が自覚していることで、「自分が持っている信念の形で、チームを引っ張っていきたい」と決意も語っていました。それだけに、まだまだ成長していくと期待して、今後の日本代表と吉田麻也選手のキャプテンシーに注目したいですね。

吉田麻也のクラブ移籍遍歴

さて、森保ジャパン誕生とともに、新キャプテンに就任した吉田麻也選手ですが、これまでの道中は順風満帆ではありません。そもそも、彼はボランチの選手だったのに、チーム事情でDF(CB)にコンバートされました。

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海外移籍するも怪我にも悩まされ、苦悩を重ねてきています。しかし、その苦悩が実を結び、日本代表だけでなく、イングランドの名門クラブ・サウサンプトンのゴール前も守るCBへ成長。

吉田麻也選手の今があるのは、そんな経歴があってのことと言えます。では、改めて、吉田麻也選手の移籍遍歴を見ていきましょう。

名古屋グランパス時代(2007年~2009年)

今の、吉田麻也選手の根幹とも言うべきチームは、やはり名古屋グランパスでしょう。兄が見つけてきた名古屋グランパスのセレクションを受けて、たまたま合格したことをきっかけに、家族で長崎から愛知県に移住…

名古屋グランパスに所属するも、2007年には、

  • 秋田豊
  • 古賀正紘
  • 角田誠

彼らが続々チームを離れていくという最悪の事態が発生…そのチーム事情を受けて、ボランチのポジションにいたはずの吉田麻也選手が、DF(CB)へコンバート。

そんな中、2008年に就任した、ドラガン・ストイコビッチ監督の目に吉田麻也選手が留まります。以降、バヤリツァ選手と共にCBのレギュラーとして定着し、2008年にはリーグ戦3位に入る好成績をもたらしました。

吉田麻也選手が、この頃から始まる、名古屋グランパス黄金期の礎となったことは事実と言えるでしょう。もちろん、彼自身、ポジションがCBなので、そんなに得点力は高くはありません。あくまで守備で貢献している部分が大きいのです。

しかし、その中でも、

2008年:22試合出場1得点

2009年:30試合出場4得点

を決め、チームの勝利に大きく貢献しています。あくまで、メインはCBですが、守備だけでなく、攻撃面でも名古屋グランパスの中心選手として急成長…現在でも、その戦い方は、名古屋で培われたものがベースになっています。

VVVフェンロー時代(2009年~2012年)

名古屋グランパスで中軸として活躍し始め、2008年には北京五輪日本代表にも招集されました。確実に、サッカー選手としてステップアップしている吉田麻也選手に世界も注目。

そして、2009年シーズン後、オランダのトップクラブ・VVVフェンローからオファーが入り、12月28日に移籍します。しかし、移籍直後、MVVマーストリヒトとの練習試合(2010年1月10日開催)で、左足首骨折し、09-10シーズンを棒に振ってしまう吉田麻也選手。

吉田麻也選手にとって、最悪の1年であることに変わりは無いでしょう。ただ、決して無駄に終わった1年とは言えません。2年という月日はかかりましたが、怪我も完治し、VVVフェンローのレギュラーにも定着。

この頃、チーム事態が低迷を迎えていましたが、吉田麻也選手の活躍もあり、1部残留。少しずつではありますが、海外を相手にしても通用するCBへと成長していったわけです。

サウサンプトン時代(2012年~現在)

現在所属するイングランド・プレミアリーグ『サウサンプトン』には、201-13シーズンの途中(8月30日)に移籍しました。翌月9月15日開催のアーセナル戦に途中出場するなど、そのシーズンでは30試合に出場を果たす吉田麻也選手。

しかし、怪我で戦線離脱したり、致命的なミスをして干されてしまうなど、紆余曲折…さらに、サイドバックに転向させられることもあり、当時は厳しい状況を強いられていました。

当然、そこには監督の構想外という思想も合わさり、彼自身、「出場機会を求め移籍を考えたこともあった」と、後に語っています。

『どんなに控えに耐え忍びトレーニングに明け暮れても、ほとんどチャンスが巡って来ず、最高のパフォーマンスを見せても見向きもされない…』

それでは、心だって折れてしまいますよね。出場機会を求めて移籍を考える吉田麻也選手の気持ちも、痛いほど分かります。

不遇時代を一変させた監督交代

そんな中、状況を一変する大きな出来事が起こります。2016年6月30日、サウサンプトンに新たな監督がやってきました。その監督の名は、クロード・ピュエル監督。

吉田麻也選手は、新たなフランス人監督のもとで、少しずつ出番(チャンス)を掴みはじめます。また、2017年1月の冬の移籍市場で、ジョゼ・フォンテ選手が移籍…

このことも影響し、吉田麻也選手は、サウサンプトンでレギュラーを手にすることとなったわけです。

レギュラー定着&信頼を勝ち取った吉田麻也

まだまだ、世界を相手と考えると、CBとして足らないところもありますし、時に致命的なミスを犯すこともあります。しかし、一方で、チームを救うプレーも見せてくれていますし、少しずつ信頼を得ているのも事実。

周囲からも「サウサンプトンの将来とともに、吉田麻也選手がいる」と評価されていますし、今後が非常に楽しみですね。

サウサンプトンに所属する日本代表DF吉田麻也が、イタリア・セリエAのサンプドリアへ今シーズン終了までのレンタル移籍をすることが決まりました。吉田は2012年夏にVVVフェンロからサウサンプトンに加入。

負傷に悩まされる時期や、慣れないサイドバックでのポジションも経験しながら信頼を得ると、ゲームキャプテンを務めるなど、クラブを代表する選手の一人となりました。

一方で今シーズンはリーグ戦第24節を終えて6試合先発、2試合の途中出場にとどまり、第16節以降はFAカップ1試合を除いて出番がない状況が続いていました。

サンプドリアは1990-91シーズンにセリエAを制覇。今シーズンは第21節を終えて16位に位置しています。指揮官はクラウディオ・ラニエリ監督が務め、ガストン・ラミレスやマノロ・ガッビアディーニといった、吉田とサウサンプトンでともに戦った選手も在籍しています。

日本人選手としては2003-04シーズンにプレーした柳沢敦氏以来の所属。今シーズンのセリエAでは冨安健洋がボローニャでプレーしています。

以上が、吉田麻也選手の、サッカー経歴です。

あくまで個人レベルの話で、日本代表での経歴は、ほぼ割愛していますが、名古屋グランパス時代から現在までの移籍遍歴は、これで理解できます。まだまだ、海外のクラブチームに所属するサッカー選手として、そして、日本代表のキャプテンとして、伸びしろは十分感じます。

それだけに今後、どのような成長を見せ、サッカーファンを楽しませてくれるのか、吉田麻也選手の活躍に期待したいものですね。

吉田麻也の年俸・年収推移は?

名古屋グランパスから、VVVフェンロー、サウサンプトンへと移籍していく吉田麻也選手ですが、年俸・年収は、その都度変わっています。

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では、名古屋グランパス時代からの吉田麻也選手の年俸・年収推移を振り返ってみましょう。

名古屋グランパス時代の年俸

2007年 360万円

2008年 800万円

2009年 1600万円

VVVフェンロー時代の年俸

2010年 1億円

2011年 1億円

サウサンプトン時代の年俸

2012年 約3億円

2013年 約3億円

2014年 約3億円

2015年 3億9000万円

2016年 3億9000万円

2017年 3億9000万円

2018年 3億9000万円(2020年まで契約延長)

年収(広告収入など)

不明(ただし、それほど上がっていないとのこと…)以上が、吉田麻也選手の、名古屋グランパス時代からの年俸・年収推移です。残念ながら、年俸以外の収入については、どこにも情報が無く、分かりませんでしたが、それほど高くなく

年俸と併せて約4億円と見るべきでしょう。

そのように考えると、名古屋グランパス時代と比較して『100倍以上も年俸・年収が上がっている』ということになりますね。まだまだ海外のスター選手と比較したら、その差は歴然ですが、世界が彼を認め始めていることは事実。

吉田麻也選手は現在30歳と、ベテランの域に達していますが、まだ伸びしろもあって、間違いなく次のワールドカップで中心選手として活躍が期待されます。

それだけに今後、年俸・年収面も併せて、どんな大きな選手へと進化していくのか楽しみですね。

吉田麻也のクラブ移籍金の推移は?

冒頭からお話しているように、吉田麻也選手は、

  • 名古屋グランパス
  • VVVフェンロー(オランダ)
  • サウサンプトン(イングランド)

の3つのクラブチームに所属経験があります。

では、これらのクラブチームに移籍する際に、移籍金はどれくらい発生しているのでしょうか?それでは、吉田麻也選手の移籍金の推移も振り返ってみましょう。

吉田麻也選手が、VVVフェンロー及びサウサンプトンに移籍した際に発生した移籍金は、以下の通り…

  • 名古屋→VVVフェンロー移籍金:6539万円
  • VVVフェンロー→サウサンプトン移籍金:200万ポンド(約2億5000万円)

日本人選手の年俸が、国内リーグで1億を超えるのが稀だった時代を考えると、かなりの額と言えるでしょう。

もちろん、クリスティアーノ・ロナウド選手や、ネイマール選手のような海外ビッグスターを比較したら高くありません。ただ、日本人選手相手に、移籍金だけでも2億5000万円出すというのは、それだけ海外から日本人選手たちが認知されているという証。

それは、素直に日本の成長と受け取って良いでしょう。

吉田麻也の移籍先、サンプドリアでの背番号は、「34」!

セリエAのサンプドリアに移籍した日本代表DF吉田麻也(31)が3日、新天地のユニホーム姿を自身のインスタグラムでお披露目しました。

新背番号「34」のバックショットを新たにアイコンにした吉田。「まずサンプドリアにこのような機会を与えてもらったことに感謝申し上げます。(本拠の)マラッシ・スタジアムに立つことが楽しみです。私の新たなチームのために全てに挑戦していきます」とイタリア語でつづりました。

吉田は今季末までの期限付き移籍で、英プレミアリーグのサウサンプトンからサンプドリアに移籍。サウサンプトンでは通算7年半の所属で、プレミアリーグで日本人最多の通算154試合に出場しました。

サンプドリアに移籍した情報を全て載せておきます。

「ソルプレーザ(Sorpresa)」とはイタリア語でサプライズの意味である。吉田麻也のサンプドリア移籍を報じる現地の新聞やニュースの見出しには、ほとんどこの言葉が使われていた。それだけこの移籍は誰も予想していなかった出来事だったのだ。

サンプドリアはリグリア海に面する港町ジェノバのチームである。日本人では柳沢敦が2003-04に1シーズンプレーしたことがあり、また、同じ町にはかつて三浦知良が所属していたジェノアもある。

両チームが対決するダービーマッチは「デルビー・デッラ・ランテルナ(Derby della lanterna)」――灯台ダービーと呼ばれている(ジェノバのシンボルが灯台なので)。

サウサンプトンからサンプドリアへの移籍が決まった吉田麻也 チームの全盛期は、現イタリア代表監督のロベルト・マンチーニやジャンルカ・ヴィアッリなどが所属していた80年代後半から90年代。1990-91にはチーム史上唯一のセリエA優勝を果たし、その翌年にはチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)の決勝にまで勝ち進んだ。

しかし、最近では真ん中あたりから降格圏すれすれの順位が定位置だ。今季は、昨シーズンまでローマのベンチに座っていたエウゼビオ・ディ・フランチェスコ監督が率いてスタートしたが、開幕からいきなり連敗。第7節までの成績は1勝6敗で、リーグ最下位となってしまった。

起死回生のために白羽の矢が立ったのが、イングランドでレスターを奇跡の優勝に導いたクラウディオ・ラニエリ監督だった。ラニエリのもと、どうにか降格圏からの脱出には成功したものの、その後も勝ったり負けたりが続く。今年に入ってからも、ブレシアに5-1で勝利したかと思えば、翌週にはラツィオに5-1で負け、戦いぶりは安定しない。

現在は20チーム中16位だが、降格圏のチームとは5ポイント差しかなく、まだまだ安心はできない状況だ。

不調の原因のひとつとして、守備の脆弱性は以前から指摘されていた。特にCBは問題視されており、ドイツU‐21代表ジュリアン・シャボット、ガンビア代表のオマール・コリーだけでは役不足のうえ、チームのキャプテンを務めていたヴァスコ・レジーニはこの1月にパルマにレンタル移籍が決まった。サンプドリアの冬のメルカート(移籍市場)での課題はCBの補強となった。

そこで、まずはかつてサンプに所属し、ナポリでは出番のなかったイタリア人ロレンツォ・トネッリを取り戻した。だがもうひとり、クオリティーがあり即戦力となるCBを望んでいた。

サンプドリアの当初の狙いは、22歳のアルゼンチン代表DFフアン・フォイスをトットナムからレンタルすることだった。移籍市場が閉まる直前の1月30日には、チーム間の移籍交渉は合意、あとは本人の承諾だけというニュースも流れた。

だが、ふたを開けてみたら、サンプドリアが獲得したのは、それまで一度も名前があがったことのない吉田麻也。まさに”ソルプレーザ”だったのだ。

フォイスが最後の最後にまさかのダメ出しをしたことで、サンプドリアは残された時間で別のCBを探さなければいけなくなってしまった。一方、吉田麻也はサウサンプトンでの出場機会が減り、いいクラブがあったら移籍したいという意向を漏らしていた。両者の思惑がここで合致した。

今回の移籍を後押ししたと思われる人物がふたりいる。サンプドリアのFWマノロ・ガッビアディーニは、昨シーズンまでサウサンプトンに所属しており、吉田とは旧知の仲だ。

今後も吉田がチームに適応する協力者になってくれるだろう。そしてラニエリ監督は、プレミア時代に吉田と何度も対戦しており、彼のプレーには好印象を持っていた。移籍が決まった後の記者会見でも「彼はサンプドリアのセリエA 残留のためのパワーとなってくれるだろう」と言っている。

イタリアメディアの多くは、吉田が日本代表のキャプテンであることや、プレミアで最多の出場回数を持つ日本人であることを紹介し、一定の評価をしている。

一方で、「サンプドリアは即戦力を求めていたのに、セリエA初挑戦の選手ではその手助けにならないのではないか」という声も聞かれる。イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が出したこの冬の補強の評価で、サンプドリアは5.5。スパルとともに20チームの中で一番低かった。

すべてがスムーズに進めば、吉田は2月3日のナポリ戦に出場できる模様だ。ラニエリの使う布陣は4-4-2。トネッリとCBコンビを組むことになるだろう。

「ソルプレーザ」にはサプライズのほかに、プレゼントという意味もある。新天地イタリアで活躍し、吉田麻也には正真正銘の「ソルプレーザ」になってもらいたいものだ。

イタリアで活躍することを期待します。

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サッカー解剖者・本田

サッカー解剖者・本田

現役時代に2度の全国大会を経験。 Jリーガーとプロの海外選手に指導を受け、「なぜ、日本の選手が上手くならないのか?」に気づき、そのサッカーでの『気づき』を子供たちに教えている。 また、小・中合わせて200人前後のサッカークラブの指導者として、サッカー上達に向けて指導している。

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サッカー解剖者・本田

現役時代に2度の全国大会を経験。 Jリーガーとプロの海外選手に指導を受け、「なぜ、日本の選手が上手くならないのか?」に気づき、そのサッカーでの『気づき』を子供たちに教えている。 また、小・中合わせて200人前後のサッカークラブの指導者として、サッカー上達に向けて指導している。