ロナウジーニョが来日、インスタグラムにカズが?全盛期は短い?歴代背番号「10」!

どうも、サッカー解剖者の本田です。

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今回は、世界を驚かせるプレイヤーロナウジーニョ選手を紹介して行く。

ロナウジーニョ選手は、当時世界一のプレイヤーと言われていた。現在のチームと全盛期の時代のメッシとの関係を見ていく。

早速だが、見ていこう。

ロナウジーニョが来日?

ロナウジーニョ選手の今って全然何をしているのか分からない人もいることだろう。見て行こう。

引退後に日本に初来日したロナウジーニョ選手。

『金剛筋プロテイン』イメージキャラクター就任記念イベントで今後のキャリアや音楽活動について語っていた。

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株式会社GLANdは、強靭なカラダづくりをサポートするサプリメント『金剛筋プロテイン』のイメージキャラクターに、元サッカーブラジル代表のロナウジーニョ選手を起用したことを記念したイベント「『金剛筋プロテイン』イメージキャラクター就任記念イベント」を2018年3月28日にグランドハイアット東京で開催しました。

イベントでは、2018年1月に引退を表明されたばかりのロナウジーニョさんに、引退後の活動についてや、2018年6月にロシアで開幕する『2018FIFAワールドカップ』についてなども方っていただきました。

イベントの様子や、ロナウジーニョ選手の一問一答などをレポートします。なお、ロナウジーニョさんは引退表明後、初の来日です。

■ロナウジーニョ選手登壇。今後のキャリアやワールドカップについて語る

ロナウジーニョ選手は、金剛筋のロゴが入った黒のユニフォーム姿で登場しました。

まずは、イベント来場者に向けて「日本という国が大好きなので、今日この場に来れたことを嬉しく思っています。」と挨拶。ここからは、MCとの一問一答です。

まず、MCから現役引退の理由を聞かれたロナウジーニョ選手。

「神様からもらった大切なサッカーという時間を改めて感じたうえで、すべてのことを成し遂げた、という思いが強く、また、38歳という年齢を考えて引退を決意しました。」

と引退理由を明かしました。続いて、引退後の生活の変化を聞かれたロナウジーニョ選手は、

「変化はすごく大きい。今は自分の考えを表現していく時間をつくっていく感じです。

僕には、色んな可能性を与えてくれる人たちがいて、そのひとつにロナウジーニョサッカーアカデミーがあります。

また、サッカーの次に好きな音楽でも活動を広げていきたい、と思います。」

と語りました。

6月にロシアで開幕する『2018FIFAワールドカップ』の注目選手について聞かれると、

「どの国にも注目される選手はいます。でも、メッシやネイマールといった選手には活躍して欲しい。ネイマールはもっともっと活躍して欲しいので、注目しています。」

と、後輩に期待を寄せました。最後に、金剛筋プロテインを愛飲していることについて

「自分にとっての力になっています。毎日フットバレーをやっているので、体をいたわるためにも必要ですし、音楽活動もかなりエネルギーを使うので、プロテインを飲むのは重要なこと。」

と明かしました。

ここで、3月21日が誕生日のロナウジーニョ選手をお祝いするためにサプライズケーキが登場。壇上にイチゴケーキが運び込まれます。

さっそくろうそくを吹き消したロナウジーニョ選手は、

「ありがとうございます。僕はイチゴが大好きなんです。ブラジルから離れた遠い国でお祝いしてもらえると思っていなかったので本当に嬉しいです。

あとでちゃんと食べるので、僕の部屋にケーキを運んでおいてください。」

と無邪気に喜ばれました。

■報道陣との質疑応答

ここからは報道陣との質疑応答の時間にうつります。

―― 先日、ブラジル共和党に入党された、とニュースが出ましたが、ブラジルのどこが問題だと思っていますか?

「政党に入ることは、まずないです。僕の大切なお兄さんが「そういった活動をしてみたらどうだ?」と言っていたことが、たまたまニュースで流れた。

僕自身としては、ブラジルになにか変わってもらう、というよりかは、政治家でもなんでもないので、素晴らしい国をもっともっとみんなに知ってもらえればいい、と思います。」

―― ワールドカップ優勝経験もロナウジーニョさんからみて、日本代表がワールドカップで活躍するためには何が必要でしょうか?

「ほんとに難しい質問だと思います。どの国もワールドカップで結果を出すのは難しいこと。だけど、不可能ではありません。

勝ち上がっていくには、サッカー自体の喜びをもって楽しむことが必要不可欠なんじゃないか、と思います。その先に国やチームの結果があると思っています。」

―― 日本代表の展望について教えてください

「正しい答えになるかわからないですけど、ワールドカップに対して、責任を背負いすぎたり、重荷を感じすぎると、それが足かせになって勝ち上がっていけません。

喜びを持ってサッカーに取り組むこと自体が良い結果になると、僕は信じています。」

―― 普段はどのような音楽を聞かれていて、これからどのような音楽の仕事をされていくんでしょうか?

「僕がほぼすべてのジャンルの音楽が好きです。ブラジルのポピュラーなミュージック、ヒップホップなど色んな曲が好き。

僕の音楽のプロジェクトに関して言うと、バンドメンバーがいるので、バンドメンバーと世界中を旅できるような音楽をつくって、喜びと感動を音楽で与えられるようなものをつくっていきたい、と思っています。」

―― フリーだったときに、Jリーグに来るんじゃないか、というニュースが報道されました。実際にオファーがきたんでしょうか? 

また、Jリーグでプレーすることを検討されたことはありますか?

「オファーに関しては、実際のところをどこまで話ができるかってことがあります……。ですが、自分の兄が日本でプレーをしていたこともあって、日本のサッカーを家族で見たりしていました。

そのうえで、今回引退を発表してしまったので、もうチャンスはないですが、これからは日本のサッカーに関われるように、そして音楽も聴いてもらって、自分のことを知ってもらえる機会を増やせればと思っています。」

日本でここまで協力してくださってくれているのは、本当にありがたいですよね。

ロナウジーニョのインスタグラムにカズが?

ロナウジーニョ選手とカズ選手って深い関係があるのだろうか?

セードルフ、ドログバ、プジョルら錚々たるメンバーも食事会に同席

 

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🤙🏽@didierdrogba @carles5puyol @robertodeassismoreira @clarenceseedorf @mamdouh_eid Kazuyoshi Miura

Ronaldo de Assis Moreiraさん(@ronaldinho)がシェアした投稿 –

2018年6月に開幕するロシア・ワールドカップ(W杯)の組み合わせ抽選会が現地時間1日にロシアの首都モスクワで行われ、6大会連続出場の日本はポーランド、セネガル、コロンビアと同じグループHに入った。

FIFA(国際サッカー連盟)から招待状を受けていた横浜FCの元日本代表FW三浦知良は、抽選会と晩餐会に出席。

元ブラジル代表FWロナウジーニョが自身のSNSに写真を投稿し、ともに食事する様子を公開している。

“カズ”の実績と知名度は世界的にも認められた。FIFAから招待状を受けたカズは、抽選会の会場となるロシアのモスクワに赴き、日本の顔役として盛り上げに一役買った。

抽選会では元アルゼンチン代表MFディエゴ・マラドーナ、元ブラジル代表DFカフー、元イングランド代表FWギャリー・リネカーら豪華メンバーが出席。晩餐会と抽選会に出席したカズは、世界的名手らと楽しい一時を楽しんだようだ。

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ロナウジーニョが公式インスタグラムに“レジェンド食事会”の写真を公開。

1点の写真とともに、「Kazuyoshi Miura」の名前を記している。

アップ主のロナウジーニョをはじめ、ACミランやレアル・マドリードで活躍した元オランダ代表MFクラレンス・セードルフ、14年ブラジルW杯で日本の前に立ちはだかった元コートジボワール代表FWディディエ・ドログバ(米2部フェニックス・ライジング)、バルセロナ一筋で活躍した元スペイン代表DFカルレス・プジョルなど錚々たるメンバーが出席した。

黄色のニット帽をかぶったカズはロナウジーニョの正面に座り、世界のレジェンドらにも劣らぬ存在感を発揮。

ブラジルやイタリアでもプレー経験があるカズにとって言葉の壁もなく、旧交を温めたようだ。

カズ選手もここまで世界のサッカー界で有名な選手なんですね。

ロナウジーニョは、全盛期が短い?

ロナウジーニョ選手って全盛期が短いと言われている。でも実際本当にそうだろうか?

ロナウジーニョの全盛期っていつ頃?

ロナウジーニョの全盛期ですが、やはりバルセロナ時代でしょう。

2003年から2008年までバルサでプレーしていますが、その中でも2003-2005の2シーズンがハイライトと言えるでしょうか?

バルサでは当初トップ下として出場していましたが、2003-2004シーズン途中に4-3-3にシステム変更。

その後は3トップの左側が定位置となりました。

サイドに流れたことでスペースが出来たことで、ロナウジーニョのテクニックが活きるようになった印象がありましたね。

この年の活躍もあり、2004年12月にはFIFA最優秀選手賞を受賞。

2004-2005シーズンは悲願のリーグ優勝を達成し、その年の活躍が評価され2005年にはFIFPro年間最優秀選手賞とUEFA年間最優秀選手賞を受賞しています。

2005年は2年連続でFIFA最優秀選手賞を受賞していますし、まさにこの2シーズンが全盛期と言えるかと。

2002年の優勝したワールドカップの時も凄かったですけどね。2006年のワールドカップは…ブラジル代表自体が低調なパフォーマンスでした…。

しかし、彼の全盛期もピークを過ぎ…下降し始めていたようにも思いますよ。

ロナウジーニョの全盛期が短いのはなぜ?

ロナウジーニョの全盛期が短い理由ですが、あまり練習熱心ではなかったからと言われています。

真相はわかりませんが、当時の報道などを見ていると…あまり熱心に練習をしていた選手ではないようです。

楽しそうにサッカーをやる姿から納得も出来ますが、きっとサッカーだけでなく人生を楽しむことに一生懸命な人だと思います。

サッカー以外にも楽しいことは色々とやりたい、そんな方だったのではないでしょうか?試合後だけでなく、前日も夜遊びをしていたことが報じられたりしていましたね。

またナイキのCM等々、練習よりもそういったプロモーション活動に熱心になっていったなんて話もあるようです。

2006年辺りからは明らかに体が重そうな状態でしたからね…。2007-2008シーズンは負傷が多かった印象もありますし、怪我で一足早くシーズンを終えていたかと。

故障が原因でトップフォームに戻れなくなる…という話は色々な選手で聞きますよね。

更には燃え尽き症候群気味だったという話もあるようで、2002年の日韓ワールドカップ優勝、05-06のチャンピオンズリーグ優勝の後はしばらく別人のようだったそうです。

世界最高の選手という評価を得ていましたし、最優秀選手賞や数々のタイトルと、目に見える形で結果を出していたこともあり…モチベーションが落ちていたなんてこともあるかもですね。

しかし、練習嫌いなんて言われながらも…本当にとんでもないパフォーマンスを見せていたのが驚きです。

私は、実際にはトレーニングしていたと思っている。なぜなら、あのトップレベルで活躍していた選手が練習嫌いなら活躍できないから。

報道陣やメディアはお袈裟に言いますからね。

ロナウジーニョの歴代背番号「10」!

ロナウジーニョ選手の背番号は「10」のイメージが強いですね。実際にどうなのか見ていていく。

ロナウジーニョのクラブでの背番号を歴代で紹介していく!

ちょっと初期のブラジル時代が不正確なところがありまして…これ以外の番号だったこともあるかもしれません。

トップチームにデビューしたのは、1998年のグレミオでしたね。ここから見ていきましょう。

1998-2001・・・グレミオ 9番、10番
2001-2002・・・パリ・サンジェルマン 21番
2002-2003・・・パリ・サンジェルマン 10番
2003-2008・・・バルセロナ 10番
2008-2011・・・ACミラン 80番
2011-2012・・・フラメンゴ 10番
2012-2014・・・アトレチコ・ミネイロ 10番
2014・・・ケレタロ 49番
2015・・・フルミネンセ 10番

グレミオ時代はいかんせん時代も古く…定かではないのですが、10番以外に9番を付けて試合に出ている映像がありますね。

何年に付けていたのか…その辺りまではわからないので要調査としたいと思います。

パリ移籍の初年度は21番となり、これはナイジェリア代表などで活躍したオコチャが10番だったからです。

オコチャの退団に伴い、2002-2003シーズンからは背番号を10に変更していますよ。

そしてバルセロナでは当初から10番となっています。ちなみに当時のバルサの10番はと言えば、フアン・ロマン・リケルメ!

10番が非常に似合う選手ではありますが、ファン・ハール監督との確執等々で出場機会も少なく…ロナウジーニョの加入と共に10番を剥奪されています。

リケルメの前の10番はリバウドでしたね。

ACミランでは80番となりましたが、これはセードルフが10番を既に使用していたため。
なので、1980年生まれということで80番を選んでいますよ。

メキシコのクラブであるケレタロ時代の49番は…ちょっとわかりません。恐らく10番が空いてなかったのだとは思いますが…。

パリ・サンジェルマンでかなりいい経験をしていたんだね。

ロナウジーニョのブラジル代表での歴代背番号!

ブラジル代表での背番号はこんな感じになっています。

1999(コンフェデ)・・・7番
1999(コパアメリカ)・・・21番
2002(ワールドカップ)・・・11番
2003(コンフェデ)・・・7番
2005-2006・・・10番
2007(親善試合)・・・7番

親善試合までは網羅出来ないので、主要大会の時の背番号となっています。

代表デビューは1999年でして、コンフェデでは7番を、コパアメリカでは21番を使用しています。

その後2002年の日韓ワールドカップでは11番となっています。ちなみにこの時の10番はリバウドでしたね。

以外にも代表で10番を付けるようになったのは2005年頃から。そしてドゥンガ監督になった2007年からは、ジエゴやカカが10番を背負っています。

ドゥンガ時代からは代表に定着していたとは言えないですが…このころは7番を使うことが多かったですね。

主要大会では記憶にありませんが、17番を付けていた時期もありますね。

以外に、05から06年の一年だけ10番だったんですね。やはり、ブラジル代表がいかに上手い選手が歴代にいたことが読み取れるね。

今後の日本との関係も注目して行こうと思う。

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