【サッカーの起源について】サッカーの起源は、頭蓋骨と中国・韓国に関係があるのか?

サッカーの起源について多くの説があります。

それらの説を紹介し、今までに至るまでの経緯をお伝えしていきます。

サッカーの起源あらゆる説について


【イングランド説】

☆イングランド説は今までに最も有力とされてきた説である。

起源は8世紀頃、戦争で勝利すると敵国の将軍の首を切り取り、その首を蹴って勝利を祝ったことと言われている。それが、国内の一般大衆にもモッブゲームという「祭り」として形を変え、広まった。

これは、王妃が将軍の首に見立てた球(ボール)を城から投げ、民衆が一斉に隣町の門(ゴール)へ競い合って蹴りあうものだった。時間も人数も制限はないものだった。

時は流れて、国内のパブリックスクールでは「フットボール」としてそれぞれ独自のルールで行われていた。

当時のユニフォームは定められていないため、すねまで隠れた長いズボンをはき、時には帽子も被っていたという。

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また、ゴールは2本のポールを立てただけで、1866年にポールはテープで結ばれ、1875年テープは木に変わり、ゴールネットが張られたのは1882年のことだった。

当時の主なルールは、ゴールが決まったらエンドを入れ替わる、スローインは外に出たボールを先に触った方が投げ入れる権利が与えられる、スローインは片手で良い、などなどゲーム消化に時間を要するものだった。

そんな中、1848年ケンブリッジ大学でフットボールの統一ルールが定められた。

ルールの主軸である「手の使用禁止」に反発し、一部分裂したグループもあった(のちにUnion Football:ラグビーとなる)が、ひとまず正式にスポーツとして認められたのだった。

その後、1863年FA(Football Association:サッカー協会)を設立。フットボールは「Association Football」と呼ばれるようになった。

日本では「ア式蹴球」と訳され、アメリカでは「Association Footballをする人」という意味で「Association」から「soc」を引用し「~をする人」という意味の「er」をつけて「soccer」となった。

【イタリア説】

☆イタリアではサッカーのことを「カルチョ」と言う。

カルチョとは、8世紀以前に宮廷の門の前で数十人がボールを蹴り合い賞金をかけたゲームのことで、フットボールよりも格闘技色が強かった。

イタリア人は、フットボールよりも早くゲームとして確立していたカルチョをサッカーの起源と信じて疑わない。

【中国説】

中国の伝統文化である「蹴鞠」がサッカーの起源であるという説が、今最も有力とされており、

国際サッカー連盟(FIFA)のシャンパーニュ事務局次長は、

「サッカー発祥の地は自国であると主張する国家は多いが、サッカー史を研究する学者によれば、サッカーの発祥地が中国だという確かな証拠がある。

古代中国のスポーツ『蹴鞠』がサッカーの起源とされる」

と述べている。

蹴鞠の起源は古代中国・黄帝の時代といわれ、イングランドのモッブゲームや、イタリアのカルチョよりも歴史は古い。

 

▲★この他にも、古代ギリシャのペニダ、古代ローマのハルパストム、北アメリカの原住民による木製のボール遊び、南アメリカ原住民によるゴム製のボール遊び等がありますが、有名なところでは上にあげた3つです。

国際サッカー連盟(FIFA)は今年2月に、創設100周年記念事業の一貫として「サッカー中国起源説」を正式に認定する記念式典を、夏のアジアカップ開催期間に開くことを発表しました。

多くの説がありますね。

実際どれがサッカーの起源なのか?そう思った人もいるのでは?

私は、今回サッカー起源の有力候補であるイギリスサッカーについて深く見ていこうと思います。

イギリスサッカー発祥の歴史は?

サッカーのルーツは幾つかありますが、現在のサッカーの起源の一つと言われているイギリスサッカーの発祥は、今では絶対な不可能な、想像を絶する凶暴で恐ろしいゲームだったのです。

サッカーの元となるスポーツが初めてイギリスで行われたのは、8世紀ごろと言われています。

その頃の伝説によりますと、イングランドとヴァイキングとの戦いにおいてイングランドが勝利し(デンマークのヴァイキング、デーン人)、その勝利を祝うためかデーン人の王の首を落として頭をボールにして蹴り合ったことだそうです。

この恐ろしいサッカーが行われた場所は、伝説ではイングランド西部のチェスターと、ローマ郊外にあるキングストン-オン-テムズと言われています。

凶暴サッカーの歴史背景

※ベッカムも登場するペプシのコマーシャル。戦士たちがフットボールをすると、こんな感じだったのでしょうか?

8世紀から10世紀にかけて、デンマークのヴァイキングであるデーン人がイングランドに侵略をしてデーンローと呼ばれる地区を作り、一時はイギリスの1/3の領土を支配するまで勢力を伸ばした時期がありました。

当時のイギリスは、イングランド人の祖先であるアングロサクソン人が支配しており、マーシアという国が勢力をはっていました。

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デーン人の頭をボールにしたサッカーが行われたのは、本格的にデーン人がマーシアに攻め込み始めた時期の前後で、頻繁にマーシアとデーン人との戦いがあったのではと思われます。

※黄色い部分がヴァイキングの占領地9世紀末ごろ

England and Wales AD 900-950より

最も危険なサッカーが広がる???

切り落とした敵将の頭をボールにしたサッカーは極端な例かもしれませんが、モブ・フットボールと呼ばれる、ルールなしの格闘技的な危険なスポーツが盛んに行われていましたのです。

当時のもモブ・フットボールの状況は
・場所もフィールドでなく街中や繁華街で行うことも
・勝ち負けは決められた場所に膀胱で作られたボールを入れる事で、そのゴールは相手方の教会のバルコニーなどでした
・参加人数は制限なしで、何百人もの群衆が制限時間なしで一日中続くことも

この対戦は祭りの日の行事として隣り合う街同士でや敵対し合うが街同士で行われ、ルールは殆どなく殺人をしなければ良いという程度で、噛みつきOK、殴り合いOKの大群衆が、街中を戦いながら通り抜ける事もしばしばでした。

時にはボールを蹴らずお互い同士を蹴り合うこともあったとか。まさに武器を使わない殴り合いの戦争ですね。

このように非常に暴力的だったため、試合中は街道も畑も、街中のすべてがフィールドになって、あちこちでボールを巡る大乱闘が発生しました。

怪我人続出はもちろんのこと、どさくさに紛れて家屋が破壊されたり、財貨が盗まれたりすることもあったようで、街に住む人々は被害を受けないように試合中バリケードを作る必要がありました。

ついにこんな事件もおこってしまいました。

1321年にはウィリアム・デ・スパルディングと呼ばれる人物が持っていたナイフによって、彼に向ってきた相手方の男が怪我をして亡くなり、ウィリアムは検挙されたのです。

※このモブ・フットボールはシュローヴタイド・フットボール(Shrovetide Football)と呼ばれ、イングランド・ダービーシャー州アッシュボーン(英語版)において1年に一度、告解の火曜日と灰の水曜日の2日間行われている祭りで、中世のような凶暴な事はやりませんが、現在も行われているところが有ります。

凶暴さに禁止になった中世サッカーの歴史とは

この危険なモブ・フットボールは頻繁に行われていましたが、イングランド王エドワード二世は、市民たちが殴り合っているのを好ましく思っていませんでした。

1314年にスコットランドとの戦うために兵を挙げる際に、弓兵たちに訓練を怠りスキルを落とすことを防ぐためにモブ・フットボールを禁じました。

更にエドワード二世は「ボールと格闘するときに出る街に響く大きな音で、神が禁じた悪魔たちが起き上がる。国王に代わってそのようなゲームが都市で将来に使われるのを禁じます。」と宣言し、フットボールをして捕まったものを投獄するという法律を通しました。

また、16世紀の女王エリザベス一世はフットボールを行ったものを1週間牢に入れるだけでなく、教会に連れて行き償いを強要させました。

こうして、投獄するとの脅しでイギリスからは凶暴なフットボールは禁止され、フットボールのトロフィーもフットボールの賞・名誉も消え去ってしまいました。

再びフットボール再開。サッカーとラグビーの分裂

※1930年ごろのフットボール

禁止され続けたフットボールでしたが、17世紀の初めに再び合法となり、19世紀にはスポーツとしてルール化がはじまりました。

それまではルールが無かったので、現在のサッカーやラグビーは区別がなく同じフットボールでした。

1863年にイングランドでフットボール試合のルールを決めようと議論されました。

しかし、ルールのスタンダード化の合意には至らず、2つの陣営に分かれました。

一つが手を使わないケンブリッジ大学のルールを支持する人々、もう一方が好きにボールを持てるラグビースクールのルールを支持する人々です。

ラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)が分離しました。

世界最古のサッカー協会であるフットボール・アソシエーション(FA、日本ではイングランドサッカー協会と呼んでいます)と、後の1871年ラグビー・フットボール・ユニオンが結成されました。

このFAとロンドンの12クラブ(11とする資料もある)による統一ルール作成により、近代サッカー(現代のサッカー)が誕生し、イギリス各地に広がり、世界中に広がりました。

調べて分かったことは、サッカーの起源について、中国は関係があるが、韓国は有力候補には入らず関係は薄いように思います。頭蓋骨は、おそらくイギリスの影響で広がったのでしょう。

サッカーの起源を知ること、偉人の話など昔の人物や出来事をなぜこうなったのか考えることは大切だと思うし、学びになります。

現代に継承している昔の話は、現代の人は咀嚼してどういった形でもいいから、身につけていった方がいいのではないかと思っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

現役時代に全国大会を経験。Jリーガーとプロの海外選手に指導を受け、「なぜ、日本の選手が上手くならないのか?」に気づき、そのサッカーでの『気づき』を子供たちに教えている。 また、小・中合わせて200人前後のサッカークラブの指導者として、サッカー上達への道しるべとなった経験がある。